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日本のフェリーの等級のあり方に疑問 [交通]

日本のカーフェリーの等級の中で、カーペット敷きの二等は厚遇されすぎている。
空いていれば中途半端な二等寝台(二等指定と呼ばれることも)より快適だし、窓がないことも珍しい。世界的には個室(キャビン)以外の一般船室は二段ベッドがずらっと並ぶ兵営のようなものか、椅子席(ギリシャ航路なら最低クラスは屋外のデッキ席)であって、窓のない内側か水面ギリギリがせいぜいだ。
床面積あたりの定員で見れば、二段ベッドの二等寝台か、個室の一等よりも、二等の方がゆったりしていることも珍しくない。

日本でも、戦前の青函連絡船の三等(今の二等)は車両デッキより下の船底に奴隷船のような二段の蚕棚(畳敷きだが背が立たない高さ)で、事故があればまず助からない船室だった。それが船旅というものだ。
本当に金のない底辺の出稼ぎ労働者以外は、特に家族連れは
「汽車は三等で十分だけだが、連絡船だけは最低一つは等級を上げろ」
「船は等級が全てだ。払えるだけ高い所に乗れ」
(実際には当時の社会は今とは比べものにならない階級社会だったし、女中・ボーイなどに一張羅の貧乏人と見くびられれば悲惨な差別待遇を受けた)
と言われていた。
その名残は1970年代まであったように思うが、今はない。
もちろん奴隷船仕様に問題があるが、外側の窓まで二等に要るだろうか。外を見たければデッキに出ればいい。
船室から優雅に外の風景を見たいなんて、適切な運賃の代価によってのみ認められるべきだ。

だいたい日本のフェリーは最高クラスの特等か、場合によってはそれ以上の特別室・スイートまで行かないと、二等以上の快適性を得られないことが多い。
特等の一つ下の一等でも、4人部屋か6人部屋の二段ベッドでは貧乏くさいし、一人客や二人の夫婦客などには向いていない。そもそも法外な貸し切り料金を取られることもある。
高速道路整備も進まず、航空路や鉄道も不便な時代に、普通の家族客から人数分一等運賃をぼったくることが出来ていた昔の思いが年配の船会社の人間から抜けないのだ。
一等で一人部屋や二人部屋を持つ船も多いが、窓もない内側部屋ばかりだ。そういう配置の船に限って、二等は無駄に外側に配置されているのだ。
しかもどんな高い部屋に乗っていても、普通のフェリーは下船時は雑踏の中で待たなくてはならない。
国際線の飛行機だったら、特等はファーストクラスだし、一等がビジネスクラスだ。ファースト客が荷物をまとめるのに手間取っても、数分くらい下のクラスの客を待たせるのは業界で当たり前だ。
日本のフェリーで特等客が優先で下船できるのは、徒歩客が皆無に近いオーシャン東九フェリーくらいだ。
これでは二等が満室でもない限り、普通の乗客は上の等級にする意欲など沸かない。

採算を取ろうと思えば、以下の愚策しか採ることができず、顧客ばなれにつながっている。
まずは高速道路をひたすら走るのに比べて高すぎると思えるほど車両料金を割高に設定することだ。高速値下げ対策で瀬戸内海航路はどこも車両運賃を値下げしているが、これが適正価格だ。車両運賃の限度は、高速道路料金+ガソリン代+ビジネスホテル代4000円+運転の労苦3000円(これは個人差あり)くらいであろう。
次の対策は関西汽船・ダイヤモンドフェリーのように二等を大幅に値上げするしかない。だが、大分・別府航路の近年の衰退の原因の一つは、運賃を値上げしすぎて、大分に直行する以外の北九州一円の徒歩客、団体客を、距離がより長いのに二等6000円(学割4800円)と安い新門司航路二社に取られたことにある。賢明な策とは言えない。
後は一人のマニア客から貸し切り料金を搾取することだ。相部屋承諾を許さなかったり、空いているのに相部屋にしたり、一人部屋、二人部屋を少ししか作らないことだ。
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高速道路無料化・値下げで長距離フェリーは本当に危機か? [交通]

民主党の主導する高速道路値下げ、無料化の弊害として反対派に挙げられるのは、だいたい以下の三つである。まあ、だいたい東京中心のマスコミや自民党側が俗耳に分かりやすいように挙げているものは以上である。

第一は渋滞が激化するという議論である。
第二はCO2の排出量が増えて地球温暖化が進むという議論である。
第三は公共交通の衰退が進むという議論であり、最も端的にはカーフェリー業界の猛烈な反対がある。

第一の反対については、
「首都圏近郊など渋滞が予想される区間は無料化しない。(逆に首都高の距離制移行のように値上げする)」
という民主党の主張、マニフェストを読んでいない党派的な反対(GWやお盆正月の繁忙期対策も、他のETC割引の交通量誘導政策も何もないに等しい無計画な麻生政権の高速1000円政策の方がもっと愚策)だし、第二の反対論は、とっくにクルマ社会となった地方の交通の現状(高速道路か公共交通機関かでなく、高く誰も乗らない高速と渋滞する一般道の二択)を知らない東京マスコミ偏向の一環であるか、サービス向上を怠る(というより国鉄民営化間もない20年前のサービス水準から退歩を続けるばかりの)JR各社や航空会社など既存の利権、規制を優先して、地域経済や国民の交通利便性を否定する悪しき日本の縮図に過ぎない。
まあ詳しくは触れないが、反対派はドイツやイタリア、イギリスあたりを(鉄道・ローカルバスとレンタカーの二方面作戦で)個人旅行して見ればいい。アメリカだと大都市近郊以外は国内線飛行機とレンタカーの併用となろうが。

今回は第三の論点を中心に触れようと思う。
だいたい、燃油高や高速値下げで経営危機になり、路線廃止に追い込まれた長距離フェリーの航路は存在するのであろうか?
実例がほとんどなければ、オオカミ少年(本当は苦しくはないのに、苦しいと大騒ぎして援助を求める)と言わざるをえない。
最大手のフェリーマニアサイトのFerry Cruisingなどの主張は業界に過剰に与するものではなかろうか?
普段から車庫などの取材で既存の大手バス会社に便宜を被っているバスマニア雑誌が既存の正規の高速バスの問題に目をつぶり、ツアーバスを罵倒する様子にもにている。

なお、ここでは宇高国道フェリーやタコフェリー、2時間程度の離島航路を短距離フェリーと定義し、関西から四国(高知、松山など)への航路を中距離と定義する。

ここ十年のスパンで見れば、長距離フェリーの航路が半減に近いのは事実だ。
90年代後半の現状を見れば、一番悲惨なのは首都圏発着の航路であろう。東京港からは「クルーズフェリー」を呼称した釧路行きの近海郵船、東京~紀伊勝浦~高知のブルーハイウェイ(名前は変更を重ねる)、川崎~宮崎の日本カーフェリー(同)など1970年代以来の長距離航路があっという間に2004年までに姿を消した。
苫小牧方面の商船三井フェリー(旧ブルーハイウェィ)は大洗発にして、東日本フェリーと統合して発展的解消を遂げたと解釈はしても、首都圏発のフェリーの壊滅は否定しがたい。
残るのは、RORO船におまけに客を乗せているような東京~徳島~北九州のオーシャン東九フェリーくらいだ。船内サービスはなきに等しい。フェリーマニア以外で存在を知っているのは徳島県民くらいしかいないマイナー航路だ。
久里浜~大分のシャトルハイウェーは2004年~2006年の間に原油高騰で短命に終わったが、老朽船を高速で酷使し、船内設備の多くを封印して運航していた実情を見れば、航路廃止の要因は周囲の経営環境というより、零細な経営基盤にあると見たほうが良かろう。
博多~直江津~室蘭や太平洋航路など、多くの長距離フェリーを持っていた東日本フェリーは経営破綻に追い込まれ、津軽海峡の航路しか残らなかった。

だが、これらのほとんどが石油も安く、高速も高かった2000年代前半に壊滅したのであって、ETC割引が拡充(深夜割引が3割から5割に、休日昼間割引、昨年からの1000円高速など)したここ3年、いわんや今年6月からの高速無料化の時期に廃止になった長距離フェリーはない。
廃止の原因は高速値下げとは関係がなさそうである。推測するに、現状とは比較にならない1998年~2004年ころの航空運賃激安時代に、飛行機に負けたと見るべきだろう。
他の原因としては、東日本フェリーのような放漫経営(豪華に過ぎた九越フェリーの初代れいんぼうらぶ・べる早期売却の損失、二代目モノクラスのサービス低下の落差、過剰投資で転売も効かない高速船ナッチャン)か、冷凍食品に紙皿のブルーハイウェーのバイキングレストランや高知シーラインなどの「乗せてやっている」的な劣悪なサービス水準などが考えられる。

影響があるのは、四国航路の短距離の呉松山フェリーや、中距離の関西汽船・ダイヤモンドフェリーの今治・松山寄港廃止、減便くらいである。
これらは馬鹿高い本四架橋の料金がETC割引で適正化されたから淘汰されたというべきであって、3本も橋があるのにフェリーが生き残っている方がおかしかったのだ。高い道路料金がフェリー業界への間接的な補助金となっていたのである。あるいは四国の高速道路整備の遅さに助けられていたとも言えよう。

長距離では阪九フェリーが一日3往復体制から2往復体制に減便した程度であって、大阪南港~新門司の名門大洋フェリーは(傍目には過剰にも思える)1日2往復体制を止めていない。今や日本最大の勢力の新日本海フェリー(系列の阪九フェリーを入れれば圧倒的)は、寄港便の敦賀~新潟の運航日縮小以外に減便の兆候が見えない。太平洋フェリーは豪華な新造船を造るほど意気軒昂だ。宮崎カーフェリーやダイヤモンドフェリー南九州航路も悪影響は見えない。
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研修センターが本社機能の一部??? コマツと小松市の関係 [都市]

ダントツ目指す「道場」に コマツ工場跡に研修センター起工

今年3月末に閉鎖したコマツ小松工場跡地で、新研修センター(仮称)の建設がいよいよ始まる。大型プレスの生産拠点は来年5月、コマツが目指す最高品質の「ダントツ商品」をつくるための技術者を育てる「道場」に生まれ変わる。小松市中心地にぽっかりと穴があいた東京ドーム約3個分の跡地は、具体的にどう活用されるのか。 11日、コマツ小松工場跡地で行われた新研修センターと公園の起工式。野路國夫社長は式後、小松工場の思い出を語り始めた。 「コマツに入社する前に(出身地の)福井から見に来た時、小松駅を降りたら目の前に『コマツ』と書いてあった。小松市と一体の会社なんだと思ったのが印象深い」 そして、研修センターについて「教育関係の本社機能を小松市に移転するという考え方で、その第1弾になる」と話し、今後の移転の可能性も示唆。発祥の地へのこだわりを強くにじませた。
小松工場跡地の敷地面積は13万4千平方メートル。更地となった跡地を見ると、あらためて広く感じる。コマツの整備計画はこうだ。
修センターは駐車場を含め、敷地面積5万5千平方メートル。高さ約30メートルの大型プレス組み立て棟はそのまま残して改修し、建設機械の実機などを使った実習に役立てる。組み立て棟に平屋建ての建物を併設する。新入社員を鍛えて仕事のイロハをたたき込み、幹部社員にはビジネスリーダー教育を徹底する施設で、「人材育成のメッカになる」(コマツ幹部)という。 さらに3カ国語の同時通訳が可能な会議室を設け、外国人を集めた会合も開く。「南米のチリやブラジルからも飛んで小松にやってくる」(野路社長)予定だ。 小松市の「里山」を再現する広さ2万平方メートルの公園には、旧本社の建屋を復元した記念館も設ける。この一帯は「子どもたちの学びや」だ。公園で自然に親しんでもらい、記念館は機械技術の体験や理科実験の場として提供する。年間利用者はざっと延べ3万人を見込む。「計算では1日に最大で200人超、平均100人ぐらいが使う」(コマツ)という。
http://www.toyama.hokkoku.co.jp/subpage/K20100912301.htm

研修センターって本社機能の一部なんだろうか?普通の企業だったら本社ビルの中じゃなくて、独立した施設を風光明美な地や広大な工場の敷地の一部に作ったりするものだろう。
まあ本社の建物でやる研修もあるだろうが、その機能を指して本社機能とは言わないだろう。
まあ旧日本陸軍みたいに、教育総監の地位・権力が陸軍大臣、参謀総長に並ぶような企業組織なら、教育部門の高い地位は別だろうが、そんな会社は聞いたことがない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E7%B7%8F%E7%9B%A3

どうやら以下の会長の発言をはぐらかすために苦し紛れにコマツがいっているとしか思えない。


コマツの坂根正弘会長は6日、富山市内で講演し、「コマツが例えば本社機能を一部、今度小松工場の跡地に持ってくるが、そうなると何人かが地元に家を建て子どもの数も増えるかもしれない」と述べ、小松市の小松工場跡地に本社機能の一部を移す可能性を示唆した。 さらに、「石川県知事には『コマツが石川県に本社を移したら法人税を10%、10年間まけてやると何で言えないのか』と皮肉で言っている」と本社そのものの移転にも言及し、そのためには国から地方への権限移譲が必要だと強調した。 坂根氏は、開催中の「富山県ものづくり総合見本市」の一環として、富山市のANAクラウンプラザホテル富山で講演した。この中で、日本ほど本社が東京に集中している国はないとし、「大企業が地方に本社を含めてシフトするような新しい国づくりをしないと、少子化問題もどんどん加速する」と述べ、大企業の本社移転が地方活性化、少子化対策につながる と指摘した。
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/K20100807303.htm

実際には指導行政の下で、企業の東京一極集中は止められないものであり、日本の社会、交通システムが東京集中でできている以上、どんな小細工をしても無理だ。
不思議なのはコマツの社員出身の和田慎司市長と会社
の関係である。こんな適当な欺瞞に気付かない方がおかしい。
創業の地の主力工場を閉鎖されたことによる地域経済への損害は、ちょっとした研修センターを置くくらいで吸収できるものではない。だいたい経済に力があれば、小松駅前のデパート(小松大和)が閉店して駅前がどうしようもなくなることもないだろう。
本来は市長として毅然たる姿勢で臨むべきであろう。こんなものでお茶を濁されて、地元に恩着せがましくされてはたまったものではない。
だいたい、小松駅の東側を占領していた工場がなくなるのが、高架化工事に伴う駅周辺整備
和田市長の不思議な対応には二つの可能性がある。ひとつは会社から籠絡されていて、会社と組んで愚かな田舎者の市民を欺こうとしているという可能性である。もう一つは社員であったといっても無知な田舎者で、会社の苦しい主張を見抜けないという可能性である。

まあ小松は「政争の町」で、市政は混乱の歴史だ。革新市長の竹内伊知を蹴落とした某保守系市長は陸軍士官学校かの学歴詐称問題で倒れる。次のキャリア官僚出身の北栄一郎はナホトカ号の重油流出事故の際にサイパンかに遊びに行っていて対応が遅れ、おまけに海外旅行に行っていないと嘘をついて、そのことを現地で偶然見ていた市民に暴露されるという醜聞で辞職した。次の西村市長は石川県職員の出身だが、可もなく不可もない存在だった。その前市長を保守分裂の市長選で破って当選したのが現市長である。
革新自治体時代からダラダラオール与党体制で続いてきたことに伴う市政の停滞というのもありそうだが、小松 
市の問題はべつである。
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縮小均衡のJAL再生計画に疑問 [航空]

JALの再生計画でB747-400が国内線・国際線共に引退することはよく知られている。
だが、旧JASのA300-600Rまで引退することは知られていないと思う。

利用者の立場からすれば、国内線用のB767を全て温存してA300を全て引退させるのは信じがたい。
第一の問題点として機材による輸送力のギャップが拡大する点が挙げられる。
だいたいB767-300とB777-200の間の輸送力の差は相当に大きく、従来はA300で高需要ローカル(年間200万人レベルの旅客のある羽田発着の非幹線)の輸送力を調整してきたのである。前者の定員はクラスJ増席で250人程度にすぎなくなったのに対し、777はファーストクラスも付けて400人近い。
しかも少数残る旧JASのレインボーセブン7J2を除くと、JALの国内線用777はファーストクラス付きの特殊な機材のために幹線(東京・大阪・福岡・新千歳・沖縄那覇のみを結ぶ路線)以外に運用できず(高需要ローカルに投入される時は、ファーストクラス席はクラスJに開放される)、使い勝手が悪い。まあその路線に乗ったクラスJの中の一部旅客はファースト席に乗れて満足ではあろうが、幹線で8000円払って乗っている客の立場からはうれしくないので、極力そういうローカル運用は避けているようである。
だから、767の次がいきなり500人近い定員の777-300になってしまうのである。
最近では羽田~伊丹が全便ファーストクラス付きの777-200だったのを止めて、ファーストクラスを千歳線や福岡線に回しているが、その代替に伊丹線でA300が活躍している。幹線でもA300は使い勝手がいいのだろう。
(旧JAS時代には、幹線は原則777-200だったので、羽田伊丹線ではあまり見なかった)

第二の問題点は、767-300では搭乗時にドアが一つしか使用できない点である。A300は二つ使用できるドア配置になっており、777や747と同レベルの利便性を提供している。ワイドボディー機とは言っても搭乗するドアが一つだけの767は必ず搭乗中にブリッジ内で旅客が詰まる。その間、中途半端な場所で待つ不快さは結構大きいものがあるし、搭乗時間もかかって定時運行に悪影響をもたらす。定員が150人も多い777の方が明らかに搭乗時間は5分ほどの単位で違う。(767の便がうんとガラガラなら話は別だが)

第三の問題点は、767の方が古い機体が多い点である。JALの国内線用767-300は二段階に導入されており、初期に導入した機体は1980年代後半に導入した機体であり、エンジンも後期型とは異なる(747クラシックと共通のプラット&ホイットニーからGEに乗り換えた)。普通席の座席も更新されておらず、国内線普通席の座席の交換を(資源の無駄としか思えないほど)繰り返すANAに比べて旧態依然ぶりは明らかである。モケットの張り替えなどはしているのだが、初期の767の機内に関して素人には古さしか見えない。これに対してA300-600Rは一番古くても1991年導入で、JJ統合後にA300B2/B4の代替のために無理にエアバスに2003年ころに生産させた機材も混じっている。

第四の問題点はA300やMD90が中古市場で売り物にならない点である。これが5年ほど前から市況が変化した点である。A300については貨物機としての用途はあるが、大して高くは売れないだろう。
高く売れないものは使い倒すしかないのが、航空界(普通の中古の乗用車でも)常識である。KLMだって売り物にならないMD11の売却は止めて、最新型の777並に機内設備を改修することとした。JALのDC10-40を長持ちさせた過去の経営判断はそう誤っていなかっただろう。
極端な例を挙げれば1990年代のノースウェストの国内線機材運用である。リパブリック航空などからの引き継ぎ機材ながら事故のあったMD87以下のMD80系列は早々に売却してしまい、世界中からタダ同然で1960年代製のDC9を300機も買い集めた例である。これらの機体は50年使用を念頭に置いて、A320並にオーバーヘッドストレージなどを大型化するなどの改修工事をやったので、利用客には古さはばれなかったし、最新機材に比べたデメリットもなかった。

第五の問題点はA300引退の直接の代替機材がないことである。737-800などで小型化して置き換えるしかない。輸送力の縮小で旅客単価の向上を図るのは金融家的発想である。
だいいち、修学旅行とか大口の輸送は逃してしまうし、団体客の需要そのものが小型化で消滅してしまう。JALの富山空港撤退と小松線機材縮小で、首都圏からの北陸方面の航空機利用の団体ツアーは殆どなくなり、バスか新幹線(上田で観光バスに乗り継ぎ)利用となった。
そもそも日本人は小さい飛行機は嫌い(飛行機に慣れない人ほど、小さな飛行機は危ないと思っている)だし、ナローボディー機ではビジネス客まで離れてしまう。現状でもANAが767を無理に飛ばしている大阪、名古屋発の便は多く、JALと差を付けている。

確実なJAL再生計画は結構だが、航空事情に無知な金融機関向けのパフォーマンスは止めるべきだ。まあ金融機関の担当者だって航空界の知識がないのに、目に見える再建策を提示させないことには自分の首が危ないだろう。
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6月28日からの高速道路一部無料化の深慮遠謀 [自動車]

10日近く前になってから、ようやく細かいことが発表された。
http://www.mlit.go.jp/common/000116387.pdf

経済効果がない田舎高速ばかり無料化されるとの批判に対応して、三つほど具体的に経済効果が列挙されている。第一に酒田や舞鶴、八戸など重要港湾との連絡である。第二に観光振興で、山陰などの例。第三が一般道の渋滞解消効果である。この発表のために港湾局の人などもだいぶ働かされたと思われる。

末端部だけ無料化(ただし今年度だけ)して、料金所の扱いなどがどうなるのか疑問だったが、今年度に限ってはけっきょく全て残されるようだ。有料部との間に本線料金所を新設といった、富山県内の能越自動車道(実は富山県道路公社の管理で、ETCも入っていない)のような措置は行なわれないようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E8%B6%8A%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93
あそこは、高岡ICまで開通した時点では、普通の高速道路のようにICごとに料金所がある方式だったが、無料の高岡北ICより北に新直轄方式で延伸された際に、本線料金所方式に改変されたという珍しい事例である。なお高岡ICより北は富山県道路公社は関係なく、国土交通省の河川国道事務所の直接管理となっている。

無料化なのに、人件費やETCゲートの維持費ばかりがかかる奇妙な方式を採用したことには、三つの理由が想像される。
第一に、国土交通省も主張しているように、利用時間・区間別の正確極まりない利用データを取るためである。正確なデータさえ取れれば、後は無料化政策の正当化のための理論武装の大きな武器となり、野党の攻勢をけちらすことが出来よう。
第二に、地方でETC車載器をさらに普及させるという目的がある。大都市では一世帯あたり一台くらいしか自家用車がないケースが多く、商用車比率も高いため、ETCの普及率は高い。だが、地方では自転車の延長のような利用の軽自動車(一家に一台ではなく、大人一人に一台以上)などが多く、車載器の普及率は3割程度に留まる。
無料になれば、当然に朝夕のラッシュなどの高速道路利用が激増することが予想される。だが、今回無料化される高速道路のほとんどは平日昼間は閑古鳥が鳴いているような区間であり、ETCゲートと一般ゲートが一つずつしか空いていないICばかりである。いくら無料の券を授受するだけとはいえ、一つだけの一般ゲートがラッシュのピーク時などに混雑することは容易に想像できる。その隣をETCの付いた車が次々と通過していく。毎日のことだから、朝の時間価値は大きい。ETCの買い控えがまたひっくり返るだろう。首都高速の距離制と同じで、非ETC車の最大料金徴収などと同じようなトラップである。
第三に、料金所の係員の雇用問題である。あと10日ほどでは配置転換も難しい。いきなり臨時の爺さん小母さんを解雇できないが、料金所を閉鎖しては仕事もない。
第四に、全国で既存の料金所を廃止して、本線料金所を新設などと言ったことは実務的に間に合わないということである。
第五に、さらに無料区間が拡大することは既定路線なので、中途半端に現状の有料無料の境界地点に本線料金所を新設しても、二重投資になる可能性もあるからである。

これは今年度に限った措置であり、データさえ取れた来年度以降は分からない。といって数年以内に自民党政権に戻る情勢でもない。
いつまでも無料区間で人件費やETC装置の維持費を負担し続けるのは不合理なので、いずれは既存の料金所は撤去されるだろう。
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歴代衆議院議員総選挙の最年少当選者 [政治]


並べると、やはり総理クラスの大物そろいである。
・年齢、学歴、前歴、その後の経歴を載せる

1958年 谷川和穂 27歳 ?法務大臣 2003年引退 
1960年 海部俊樹? 29歳 早稲田大学第二法学部 政治家秘書 内閣総理大臣 新進党代表 
1963年 橋本龍太郎 26歳4ヶ月 慶應義塾大学法学部 呉羽紡績 内閣総理大臣 
      小渕恵三 26歳5ヶ月 早稲田大学第一文学部英文科 大学院生で世界漫遊 内閣総理大臣
      西岡武夫 27歳 早稲田大学教育学部 新聞社経営 参議院議院運営委員長(現職)  ←注目
・西岡は最年少で国会に出る気満々で、早稲田大学教育学部の学生時代から地元の新聞社のオーナー(父親が県知事になったため)、青年団活動で名を売った。
1967年 山口敏夫 27歳 明治大学法学部 石田博英秘書 新自由クラブ幹事長 労働大臣
・再び政界再編で自民党を離党して新生党に。二信組事件で失脚。
・背任、業務上横領、詐欺に加えて、議院証言法違反にも問われる。
・2009年に仮出所。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%95%8F%E5%A4%AB
     河野洋平? 30歳 早稲田大学政経学部 丸紅飯田 自民党総裁・外務大臣・衆議院議長
1969年 小沢一郎 27歳6ヶ月 慶應義塾大学法学部 司法試験浪人 経歴略
     佐藤観樹 27歳10ヶ月 早稲田大学?学部 文藝春秋 自治大臣
・社会党の二世議員。村山政権で大臣となり、民主党へ。2004年に秘書給与詐取で失脚。 
     横路孝弘 28歳 東大法学部 弁護士 北海道知事 衆議院議長(現職)
1972年 小泉純一郎 30歳 慶應義塾大学経済学部 会社員??? 内閣総理大臣 
      野田毅 31歳 東大法学部 大蔵省 自治大臣 建設大臣
1976年 鳩山邦夫 28歳 東大法学部 田中角栄秘書 略
1979年 船田元 25歳 慶應義塾大学大学院(教育学) 学校(作新学園)経営 経済企画庁長官
・田中角栄を上回る39歳一ヶ月の最年少で大臣に。その後、野田聖子・小渕優子に抜かれるが、男性では最年少
1980年 菅直人? 32歳 東京工業大学 弁理士・市民運動家 内閣総理大臣(現職)
1983年 中川昭一 30歳 東大法学部 日本興業銀行 財務大臣 落選して自宅で急死
1986年 石破茂 28歳 慶應義塾大学法学部 三井銀行 自民党政調会長(現職)
1990年 赤城徳彦? 31歳 東大法学部 農林水産省 農林水産大臣
・政治資金問題、絆創膏事件で大臣辞職。安倍内閣をつまづかせる。
1993年 宇佐美登 26歳 早稲田大学理工学部 武村正義秘書 松下政経塾 
・2005年に落選後に民主党を離れ、平沼グループで2009年総選挙落選
     枝野幸男 29歳 東北大学法学部 弁護士 行政刷新担当大臣 民主党幹事長(現職)
     前原誠司 31歳 京都大学法学部 松下政経塾 京都府議 国土交通大臣(現職)
1996年 古川元久 30歳 東大法学部 大蔵省 内閣官房副長官(現職)
2000年 原陽子 25歳4ヶ月 桜美林大学大学院 大学院生 史上最年少 社民党 
・次の総選挙で落選の後は市議選にも落選し、福祉職に転向。
2003年 寺田学 26歳 中央大学法学部 三菱商事 民主党青年部長 総理補佐官(現職)
2005年 杉村太蔵 26歳 筑波大学中退(スポーツ推薦) 証券会社派遣社員 以下略
2009年 松岡広隆 27歳6ヶ月 立命館大学経済学部 関西電力 
     横粂勝仁 27歳11ヶ月 東大法学部 弁護士 
     小泉進次郎 28歳4ヶ月 関東学院大学 コロンビア大学大学院 米シンクタンク 以下略   

大下英治「小説土井たか子」と90年代政界再編劇 [政治]


小説 土井たか子 (現代教養文庫)

小説 土井たか子 (現代教養文庫)

  • 作者: 大下 英治
  • 出版社/メーカー: 社会思想社
  • 発売日: 1995/03
  • メディア: 文庫




小説・土井たか子―山が動いた

小説・土井たか子―山が動いた

  • 作者: 大下 英治
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 1990/01
  • メディア: 単行本



大下英治の政界本はそれほどベストセラーということはないが、業界人にはずいぶん読まれているようだ。
彼の著作のスタイルは独特である。新聞の政治面(丸山真男以来、「政界面にすぎない」という批判は当然に受け止めなければならないが)にも出ていない、同時進行形の生の大物政治家の発言が
「小説」
という隠れ蓑で、さも著者が宴席や秘密会合に同席していたかのように書かれる。
いかにも怪しい手法だが、政治家のオフレコ発言の情報を新聞社から仕入れるなどの方法で内容を担保しているようである。
そもそも月1冊では効かない冊数の著書を大下個人の筆力だけで書けるはずもなく、
(執筆量は確保できても、取材が追いつかないだろう)
「ゴルゴ13」のような多数のスタッフの共著的な方法らしい。
いまのところ関係者から大下が捏造発言で告訴されたりしてはいないので、おおむね事実なのだろう。
立花隆の最近の政界ネタはほとんど大下情報を根拠にしているようだ。
あまりに細かい事実描写は無意味とも思えるが、私はそうだと思わない。歴史は意外と個人的な人間関係、キーパーソンの前人生、価値観、好みなどに左右されるものである。細部を軽視してはならない。

閑話休題

1990年代半ばの政界再編劇と連立政権の詳細については、驚くほど日本国民には知られていない。ネット右翼が村山総理を売国奴と罵るだけである。一般人も首相の名前くらいしか覚えていない。
その原因の一つは、吉田茂や佐藤栄作、果ては田中角栄の時代の話のように、その時代の出来事が物語として国民の記憶に編成されていないからである。竹下派七奉行は知っていても、彼らがどう自民と反自民に袂を分かったのかも知られない。社会党に至っては
・無意味な派閥争いの横行
・選挙、資金面で労組頼み
・極左は共産党より過激。
といった断片情報しか知られていない。
徳間文庫の大下の著作はまだ売れているようだが、それ以前の角川文庫や「土井たか子」などは古本屋でも滅多に見ない。それだけ政界の業界人、マスコミの政治部員などがネタ本として手元に温存しているからだろうか。


以下の事実を知っている人間はどれだけいるだろうか。
・生家は神戸の開業医で、戦前に自家用車を持っているほどの恵まれた環境。
・土井たか子は戦時中の京都女子専門学校(現京都女子大学)の東亜文学科に在学。国策で英語の授業が廃されたため、中国語を勉強させられた。
・(ネット上では編入に疑問の声も出ているが)戦前から女子大生を受け入れていた同志社大学法学部に編入し、研究者の道を歩む。
・だが女性研究者として相当下駄は履かされていた模様。修士論文の国政調査権の論文は学部の卒論程度と指導教授以外に酷評され、修士課程に4年在籍
・憲法の研究者と一般に言われながら、衆議院選挙に立候補する40歳まで大学で常勤のポストは得られなかった。この間、論文執筆は殆どなく、社会党の下部組織での護憲運動=プロ市民活動がメイン。

(初当選から委員長選立候補までの描写がほとんどない)
・社会党委員長の専用車は飛鳥田委員長の時代はなかった。
・土井たか子の時代には旧型センチュリーになっていて、多くの非大臣の自民党代議士の車より上で、同期当選の森喜朗から見つめられるレベルだった。
・岩垂寿喜男は総評の事務局出身の左派幹部だが、無派閥の土井たか子を政策面で支えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%9E%82%E5%AF%BF%E5%96%9C%E7%94%B7
・伊藤茂(1928~ 存命)は社会党事務局から昇格の超エリートで、悪筆を補うために1980年代からモバイラーだった。伊藤の文書作成の速さと守秘性が土井執行部を支えた。
(社会党に大物多選議員は少なかった。労組の論功行賞で50代で議員になるが、10年ほどで後輩に交代させられて、なかなか大物になれない。だから連立政権期に多くの著名議員は入閣した。当選回数は既に自民党を追い越す勢いだった)
・少数のエリート多選議員の政策能力、国際情勢の把握度は相当のものだった。自民党に比べて勉強不足なのは否めないが、各省庁の官僚からレクチャーを受ける場がないことを思えば、特筆すべきこと。
・脱冷戦の現状分析、未来像はけっこうリアリズムに富んでいた。
・だが執行部の権限が極端に少なく、石橋委員長時代から進められた革命路線からの転換、政権参画を党の方針として確定させる(綱領変更など)に至らなかった。
・土井たか子を衆議院議長に推す小沢一郎の深慮遠謀は、土井ら最左派(この段階で教条主義的な社会主義協会系は壊滅に近い)を護憲派の河野洋平と連携させないため。この時点で左派が自民党と連携することを既に小沢ら新生党は危惧していた。

リビアのA330が墜落事故 [航空]

リビアの首都トリポリの国際空港で12日午前6時(日本時間同午後1時)ごろ、同国のアフリキーヤ航空エアバスA330型旅客機が着陸に失敗し、墜落した。
同機は南アフリカ・ヨハネスブルク発で、ロイター通信によると、乗客乗員104人のうち、103人が死亡、オランダ人の子供1人が救出された。同機にはリビア人のほか、オランダ人少なくとも60人が乗っていたとみられる。乗客に邦人が含まれていたかどうかは不明。 当時、空港周辺の天候は良好だったという。原因は調査中だが、リビアのジダン運輸相は同日、テロの可能性を否定した。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100512-OYT1T00827.htm

一部の日本のマニアが思っているほど、エアバスの大型機はボーイングより危険だとは思わない。
ボーイングだって、初期のジェット機の707は生産機の1割を超える100機以上を墜落事故で失っているのだ。

確かにA330も何件か事故を起こしているし、A310の事故は多い。
だがボーイングとの最大の差は、運航体制のヤバイ途上国、反米国家に機体を売却しているかという点だと思う。
A310はビジネスとして失敗した機体だ。最大のユーザーが意外にもシンガポール航空だったということから、如何に有名航空会社に採用が少なかったが分かろう。シンガポール航空では長距離用747のアクセスのアジア線専用機材で、影は薄かった。
だから販売実績を上げるために、相当ヤバイ会社にも売却されている。
だがボーイングの777を買ったのは欧米か、アジアの結構有名な会社ばかりだ。それ以外の新興国、途上国、いわんや反米国家の航空会社には売ってくれないのである。
その結果777は死亡事故を未だに起こしていない。BA英国航空が北京で胴体着陸の事故を起こしているが、乗客乗員全員が避難して、犠牲者はいない。
これに対し、767はエジプト航空とケニア航空で大きな事故を起こしているが、事故を未然に防ぐための運航体制の問題だろう。ちゃんとした国の航空会社は事故を起こしていない。

まあA330に関して、先進国の有名航空会社が777のように死亡事故を起こしていないわけではない。エールフランスの事故は深刻だが、深海に墜落してボイスレコーダーも見つからないので、原因が分からない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9447%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
A330、340シリーズに関しては、インシデントが多いから、直ぐに危険だとは、まだ言えない段階だと思う。
次の(途上国の会社ではない)事故が起きてしまってから、改めて判断すべきかと思う。

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東北地方への帰省輸送 [鉄道]

常磐線

東北本線に比べて圧倒的に客車列車が多い。それも東北本線に比べて鈍足ではない。勾配の少ない線形によって、蒸気時代から優等列車をこちらに回してきた伝統が生き残っているようである。「十和田」の本数が異常であるが、遅い時間に発車する列車は青森での到着が遅くなりすぎるため、以後は特急「ゆうづる」に格上げされてゆく。

8211 634 一関1424 みちのく51号 9月10~15日運転
201D  744 弘前2029 みちのく 花輪線経由 宮古1900(グリーン車 )、鳴子1449編成あり
8213  847 青森2128 十和田51号 全席指定、8月1~25日運転
8201  1040 仙台1704 そうま51号 7月25・26・8月1・2・9~16日運転
201   1210 青森2345 十和田1号 グリーン車・食堂車つき
8203  1446 青森400 十和田52号 2号の続行臨 7月25~8月3・5~14日運転
6201  1620 青森430 十和田2号 7月25~8月23日運転
6203 1950 青森815 十和田3号 9月5日まで寝台列車 、9月12~15日は座席車
8613 宮古816 みやこ 7月24~8月23日運転、全席指定・B寝台つき
203 2035 青森900 十和田4号 グリーン車・AB寝台・食堂車 つき
8205 2130 青森1128 十和田53号 7月25日~8月15日運転
227   2225 仙台845 長距離普通
205   2240 青森1110 十和田5号 AB寝台・食堂車 連結 
6205 2305 青森1140 十和田6号 9月6日まで運転。寝台列車、7月27~8月23日は座席有
207   2330 青森1230 十和田7号 B寝台・グリーン車・食堂車連結
8207  2340 盛岡930 みちのく52号 8月8日~17日運転

228   青森1034 455 長距離普通。227と組だが、こちらは青森発
6204  青森1530 500 十和田2号 指定席あり、7月26~8月23日運転
8208 気仙沼1814 506 南陸中 指定席あり、8月16~20日運転
    一関2051    みちのく53号 8月10~20日運転
204 青森1643 530 十和田3号 B寝台・グリーン車・食堂車つき
6206  青森1900 625 十和田4号 9月6日まで寝台列車、9月13~16日は座席車
8616  宮古1843    みやこ B寝台車・全車指定席
206   青森1930 653 十和田5号 AB寝台・グリーン車・食堂車(ビュッフェ)つき。
208   青森2135 952 十和田6号 AB寝台・グリーン車・食堂車 つき
8204  青森2330 1145 十和田52号 7月25~8月23日運転、8月6日はB寝台つき
6202  青森020  1210 十和田7号 寝台列車・9月7日まで運転
214M  仙台826  1415 そうま1号  10連中7連(サロ・サハシ入り)を平で増結
8202  青森430  1640 十和田51号 7月30~8月8日・10~24日運転、指定席あり
202   青森520  1653 十和田1号 食堂車・グリーン車つき
8212  盛岡1002 1934 みちのく51号 7月31~8月30日運転、指定席あり、11~13日暮里
202D  弘前840  2102 みちのく 花輪線経由、宮古940、鳴子1340発併結、8月11~13日は
8214  盛岡1315 2209 みちのく52号 8月9日~23日運転、指定席あり   日暮里止まり
212D   仙台1650 2300 そうま2号 8月11~13日は日暮里止まり


   上越線経由

新潟止まりの「佐渡」などを除き、羽越本線に乗り入れるものを対象にする。

6801D 1050 秋田2020 鳥海1号 新潟までは毎日運転の季節列車 、グリーン車有り
801   2100 秋田830 鳥海2号 AB寝台・グリーン車つき
8803  2155 酒田715 鳥海51号 8月11日~21日運転
6801  2235 秋田1057 鳥海3号 8月31日まで・10月1~31日運転、グリーン車つき
701   2248 新潟 527 天の川 A寝台つき寝台列車

6802D 秋田710  1722 鳥海1号 新潟から毎日運転の季節列車
8804  酒田1820 421 鳥海51号 8月10~20日運転
702   新潟2305 539 天の川 寝台列車
6802  秋田1805 600 鳥海2号 グリーン車連結、新津着2344で上越線内夜行
802   秋田1905 643 鳥海3号 AB寝台・グリーン車連結


これを見ると、電車急行にも「いわて」「まつしま」などの柱があり、「ばんだい」などには季節性が付加されている。続行臨とも見るべき客車臨時急行があるが、交直流電車が高価 で、定期列車の分を確保するのが精一杯で、ローカル列車などとも共有できる客車と、貨物と共用 の交流電機の組み合わせで波動輸送力を確保している状況が伺える。
また東北特急はどれも切符が入手難であった。且つ全席指定列車 も多く、波動輸送の助けとはならない。1980年代半ばまで485系は151系「こだま」の伝統に従って12・13連の固定編成をとり、波動客への対応は無視されていた。ただ全席指定特急は、それはそれで、指定券を確保した客に一定の快適性を確保していた。輸送力不足の路線の自由席 ほど不快なものはない。その意味で座席の足りないL特急は、鉄道に有力な競争手段がなかった時の産物かもしれない。
臨時急行には下り夜行・上り昼行が多い。これは休暇も短かったため、行きを夜行にして時間を節約し、帰りは疲れで勤務に影響を及ぼさぬよう、夜までに東京に帰り着こうとするためである。


   参考:当時の航空路線(当時の急行自由席、B・A寝台下段運賃+料金)

・当時の航空機が、運賃・輸送力の点で鉄道の有力な競争相手ではなかったことが分かる。運賃の低廉化と波動輸送に対応するためには、各空港のジェット化 を待たねばならなかった。

全日本空輸 羽田―仙台  6往復 YS11・フレンドシップ(F27)5200円(1770・2970・5970円)
      羽田―山形 2往復 F27 5400円(1860・3060・6060円)
      羽田―秋田 3往復 YS11・F27 7500円(2530・3730・6730円)
日本国内航空  羽田―花巻 2往復 7500円(盛岡2450・3650・6650円)      
        羽田―青森 2往復  10200円(2860・4060・7060円) 
        羽田―八戸  1往復 9800円(2690・3890・6890円)


・文中でも未解明の事項は多かった。既存の運輸史の記述が定期列車に偏っているからである。が、この頃は毎日運転の臨時列車や、2ヶ月運転を続ける季節列車などがあり、今日ほどその境界は明瞭ではない。本稿の内容についてより深くご存知の方があれば、ご教示いただけると幸いである。

・文中敬称略
・主な参考文献は文中に挙げた。他には
寺本光照『国鉄・JR列車名大事典』中央書院・2001
「鉄道ピクトリアル」連載『国鉄急行列車変遷史』(総目次がないのがつらい)
昭和45年10月1日現在『東北本線列車ダイヤ』仙台鉄道管理局・盛岡鉄道管理局
昭和53年10月               東京北鉄道管理局
(東京大学鉄道研究会で保有)
「簡易線」98年駒場際号特集『20年前の時刻表』の関連各稿
ARC 資料館http//www. urawa. cool. ne. jp/ beppu:過去の編成表のデータベース

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東北地方への帰省輸送 [鉄道]

2.最盛期の1970年8月

・ここでは敢えて夏を考察の対象とすることにした。冬は特に「ざおう」がスキー輸送と渾然一体となるからである。が、全国での知名度の問題があり、この段階でどれだけの列車が東北地方の夏祭りを視野に入れているか、判然とはしない。なお、電車特急、寝台特急については本題を外れる上、資料・文献も多いのでここでは省略する。

東北本線・磐越西線・奥羽本線

 ヨンサントウで東北本線は特急の最高120キロ化 が行われているが、1970年代後半のように特急街道という印象は少なく、電車急行 もあまり特急退避を受けない 。主な急行をリストアップすると以下のようである。

8101上野545 仙台1155 まつしま51号 1番手で客車ながら表定67キロ。10~20日運転
101M  640 盛岡1350 いわて1号 サハシ入り7連。表定75キロの俊足。8101を郡山で
       喜多方1111 ばんだい1号 グリーン車入り附属6連。        抜く。
6401D  655 秋田1720 おが1号 9月30日まで単独運転
101D  704 青森1825 八甲田1号  盛1620 久慈1830の附属編成を併結
       秋田1720 おが1号 本来は八甲田と併結して15連で運転
8123 710 会津若松1302 ばんだい51号 ひばり・つばさを待避。貨物列車 でスジが寝る。
8125  808  福島1244 あづま51号 急行とは思いがたい鈍足で秋田行き普通427に変身
1103D  913 新潟1618 いいで 磐越西線経由
       山形1529 ざおう1号 9月1日まで、10月1日~11月20日運転
8401  929 山形1617 出羽51号 普通449となって新庄に直通。8月1日~24日
     会津若松1327 ばんだい52号 8月1日~24日運転。小山までに1101Mを待避。
1101M 945 仙台1432 まつしま1号 普段は附属6連を福島で切り離すが、それを会津へ。
     会津若松1404 ばんだい2号 8月31日まで、9月12~15日運転
8127 1029 仙台1620 まつしま52号 8月1日~25日運転
103M  1115 盛岡1833 いわて2号 郡山で8127を抜く。 
     会津若松1523 ばんだい3号 
8103 1128 盛岡2005 いわて51号 
6113M 1225 仙台1716 まつしま2号 郡山まで毎日運転の臨時列車
1401M 1333 山形1845 ざおう2号 
6105M 1430 盛岡2200 いわて3号 
8413 1439 米沢2107 ざおう51号 宇都宮でひばり4号を待避。8月10日~14日運転
6107 1515 仙台2005 まつしま3号 毎日運転の臨時列車。黒磯 ではつかり2号を待避
1103 1547 仙台2038 まつしま4号 
       喜多方2020 ばんだい4号
8415  1726 秋田532  おが51号 全席指定。秋田から定期629大館行き
101 1900 青森616 八甲田2号 B寝台付き。仙台から夜行区間で増結。
401 1934 青森946 津軽1号 グリーン車、AB寝台つき。
6401  2006 青森830 八甲田50号 7月25日~8月10日、14日~9月1日運転
        大館900 おが2号 43年改正で設定された季節臨。この夏は座席車
8417 2115 男鹿915 おが52号 7月24日~8月23日運転
6103 2119 青森925 八甲田51号 9月15日まで。盛岡まで全席指定。2~5日は寝台    
103   2208 盛岡659 北星 寝台急行 昭和50年3月改正で20系特急 に。   列車
405 2222 青森1336 津軽2号 グリーン車、AB寝台付き。山形から有効時間帯 。
6105D 2230 小牛田520 まつしま54号  7月25日~24日運転。時間帯がやや中途半端。
       山形526 ざおう52号 7月25日~8月31日運転。8月11日~13日品川発
421   2239 青森2156 奥羽本線経由の長距離鈍行。福島発614で上野―福島夜行。
8105  2251 盛岡812 いわて53号 8月1日~14日運転。予定臨。
8403 2304 秋田1104 おが71号 8月12日まで、30日~9月13日運転。全席指定
403D  2308 酒田814 出羽 奥羽・陸羽西線経由 グリーン車付き。
107M  2317 盛岡825 いわて4号 北星に対応する輸送力列車で、昼行と共通運用 。
6109M 2328 仙台545 まつしま5号 8月31日まで運転。107Mの続行臨
8111M 2336 仙台550 まつしま55号 7月27日・8月4日~9日・19日運転
      会津若松448 ばんだい53号 7月25・26日・8月1~3・14~18日運転
1101 2340 仙台610 新星 A寝台つき寝台専用列車。完全なビジネス列車
6403M 2350 山形635 ざおう3号 毎日運転の臨時列車。8月11~13日は品川発
      会津若松508 ばんだい5号 
1103  2354 福島529 あづま2号 普通列車で仙台821。グリーン車つき。
      会津若松555 ばんだい6号 グリーン車・B寝台連結
8121  012  福島529 あづま2号 7月25日~8月21日は単独運転
6108 015 青森1330 八甲田52号 8月1~20・22日。10日は名古屋1708「あおもり」
8405  053 横手1400 おが53号 貨物列車に阻まれて福島643、8月11~13日
     会津若松715 ばんだい54号
  
422  青森629   436 奥羽本線経由の長距離普通。福島2214発。白河―上野は快速運転
8118 仙台2045  418 まつしま55号 全席指定8月10~20日運転。15~20日は石越・女川発 
8414 横手1644  406 おが51号 8月10~20日運転
1104 福島2330  444 あづま2号 仙台2052発の普通列車 グリーン車つき
2204 会津若松2303   ばんだい6号 B寝台、グリーン車つき
8120        520 ばんだい6号 7月23日~8月19日は単独運転 
6110 青森1440  454 八甲田50号 指定席あり、7月31日~8月2・5~9・11~20日運転
6108M 仙台2225 502 まつしま5号 ~8月31日・9月12~15日運転、8月16~19日は
404D 酒田1937  514 出羽 グリーン車つき、山形から指定席あり       全席指定
8106 秋田1623  524 おが71号 全席指定 7月30日まで・8月25~9月8日運転
盛岡1945  524 いわて52号 7月31日~23日運転 指定席あり
8716 新庄1930     なるご 陸羽東線経由 8月16~20日運転   
1102 仙台2315  544 新星 寝台列車 2130から仙台駅に停車し、寝台車を使用可能。
106M 盛岡2030  548 いわて4号 
6104 青森1720  604 八甲田51号 7月26~9月15日運転 8月3~6日は寝台列車
104  盛岡2110  614 北星 寝台列車
402  青森1444  623 津軽1号 奥羽本線経由 AB寝台・グリーン車つき
8416 男鹿1820  905 おが53号 7月24日~8月24日運転 指定席付き  下り52号と組
8130 盛岡2130    いわて53号 8月17~19日運転    
6402 大館1855 924 おが3号 8月25日まで
8114 青森1955    八甲田52号 7月26~8月11日・15~28日運転、19~28日は寝台列車
8418 秋田2205 1015 おが54号 8月2日~11日・16~20日運転、指定席あり
406  青森1925 1013 津軽2号 グリーン車・AB寝台つき
102  青森2359 1120 八甲田2号 グリーン車・B寝台・指定席つき
8122 仙台734  1425 まつしま51号 指定席
1104M 仙台836 1344 まつしま1号
102M 盛岡705 1444 いわて1号
1402M 山形955 1455 ざおう1号
8102 仙台1022 1605 まつしま52号 全席指定、8月2~26日運転
8432 山形924 1734 快速 上野―福島に5時間を要す。
8236 猪苗代1210 
6112M 仙台1130 1608 まつしま2号 毎日運転の臨時列車
8112M 仙台1142 1611 まつしま53号 全席指定 続行臨として設定して表定78キロ!
8402M 会津若松1152   ばんだい53号 全席指定 7月26・27日・8月2~4・12~19日
104M  盛岡930 1655 いわて2号
2104M 喜多方1220   ばんだい2号
6106D 小牛田1144 1806 まつしま54号  7月25~8月24日運転、16~20日は女川・石越発
8416D 山形1101     ざおう53号 7月25~31日運転
9124 会津若松1323 1915 ばんだい54号 8月11~14・16~20・9月13~15日運転
1106M 仙台1340 1822 まつしま3号 大宮でひばり4号を待避。
2206M 喜多方1343   ばんだい3号
1104D 新潟1220 1919 いいで 磐越西線経由 グリーン車つき
6404D 山形1322    ざおう2号 9月1日まで、10月1~11月20日運転
8104  青森720 2024 八甲田71号 予定臨 全席指定 8月24日まで運転 
8126 福島1601 2043 あづま51号 8月2日~14日・16~20日運転
6104M 仙台1508 1951 まつしま4号 毎日運転の臨時列車
6202M会津若松1533   ばんだい4号
8404 真室川1211 2127 出羽51号 8月1日~24日・9月13~15日 運転
8204会津若松1604    ばんだい55号 8月1日~24日・9月12~15日運転
6402D 秋田1104 2131 おが1号 9月30日まで単独運転
402D        2138 おが1号
102D  青森1007    八甲田1号 久慈1000 盛1210発を併結
6106M 盛岡1420 2143 いわて3号 毎日運転の臨時列車。8月11~13日は赤羽止まり 
6404M 山形1633 2154 ざおう3号 毎日運転の臨時列車
6204M喜多方1707    ばんだい5号




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