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学者の夏休み [海外事情]

都留重人とか鶴見俊輔とかのエッセイや(ハーバード関係者の偏りはあろうが)、あるいは皇太子のイギリス留学回想録とか、あるいはエール大学の朝河貫一関係の史料を読むと、日本の大学研究者にとって意外な事実が分かる。
それは、向こうの学者は夏休みには専門の研究をしない(してはいけない)期間なのだ。
数ヶ月の休みの間、全くの休暇として過ごし、専門の研究には手をつけないということである。
先の二氏が当時でもずば抜けた優秀な留学生であったことは確か(都留重人は首席に近い「大優等」(ラテン語)で表彰されているし、鶴見俊輔も日米開戦で抑留された不利を含めて10代で哲学科を卒業しており、そのまま大学院に残れば22歳で博士号が取れる計算だった)だが、戦前の留学生という言葉から想像するようなガリ勉の様子からはかけ離れた日々だったようだ。長期休暇には必ず太平洋を船で何度も日本に帰って来るし、数年間の修行の日々のようなイメージではない。
オックスフォードに留学して、イギリスの内陸水上交通を研究して修士論文として皇太子(当時は浩宮)は休暇は欧州大陸の各王室の離宮とかを訪ね歩く日々だったと書いているし、朝河貫一も(死ぬまで大学の教員寮に住んでいて、夏休みは居住できなかったのかもしれないが)アメリカ国内の保養地や欧州旅行をしている(ヒゲの寛仁親王に至っては、はっきり「イギリス留学は勉強のためでなくて、欧米社会との社交と場慣れのためだと主張している」)。
戦前の学者でも、中田薫とか三上参次あたりは大学の研究室でしか専門の研究、論文執筆はしなかったようだし、1940年体制ではないが、意外とこの辺りが国際標準かもしれない。

恐らく普通の日本人が持つ留学生のガリ勉のイメージは三者によって規定されていると思う。一つはロンドンの下宿に引きこもりで精神病になった夏目漱石のイメージである。実際には漱石の留学仲間は潤沢な留学費を国費で支給されて優雅な社交生活を送っているのだが、チビのコンプレックスがあった漱石は引きこもって、多額の留学費を全て本代に使ってしまっただけなのだが。
もう一つは1ドル360円時代に経済的に困窮して苦しい留学生活を送った戦後直ぐの留学生の体験である。日経の『私の履歴書』あたりを読むと、周りの学生が遊びに行ったり、帰省したりするのに、自分だけは帰国費用もなく夏休みに居場所がなくて、アメリカ人の同級生の家に一夏身を寄せたなどという話は多い。この辺りの人たちは現在も日本の政財界や学界で指導的な地位にあることが多く、その影響は大きかろう。
最後は単なるモラトリアム(ないし経歴偽装)のための語学留学で海外で勉強もせずに遊びまくる人間へのアンチテーゼとして、現地にありもしない(欧米「市民社会」のようなものか)勉学像を説教のために作ってしまった可能性がある。また、企業や官庁が公費で若い社員を留学させることは今でも多いが、

まあ戦前から夏休みに学者が別荘や温泉などに籠もって本を書くというのはあったようだが、当人の学問の精髄というよりは、小遣い稼ぎか売名のための啓蒙書や長めの雑誌原稿というものが多い(そもそも戦前の学者は高等官試験対策の法律学の本を除くと、講義以外に専門の著書を書くことは稀だった。専門によっては、書けば学士院賞ものだった。)。まあ一夏くらいで著しく進展するような学問なら、それは大したことがないだろう。

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