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1982年夏の帰省輸送 東北自動車道の歴史 [交通]

http://www.youtube.com/watch?v=MNV7yzpgflg

・皮肉ぽい文章を淡々と読むのが、昔のニュースらしい。
・東北新幹線のみの暫定開業で、東北新幹線上りの最終が10時半到着で終わり
・映像のない東海道新幹線の混雑率250%が気になる。

・東北自動車道の佐野藤岡IC付近が暫定4車線通行だったのが意外。開業最初から、現状の宇都宮ICまで6車線だと思っていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93
調べてみると、当時の東京アクセスは浦和IC以北だけ。1980年に岩槻ICから浦和ICまで伸びた。どうやら浦和~岩槻は当初から6車線で開通したようで、岩槻以北は鹿沼まで1984年までの間に拡幅される。1972年に岩槻~宇都宮ICが一気に開通した時点から10年も、橋梁や用地が準備された拡幅は放置されていた模様。別に北関東のローカル高速道路だったわけではなく、1975年には仙台まで全通している。東北自動車道全体を見ても、八幡平や十和田湖付近の山岳部以外は1970年代にほぼ完成しているのだ。
宇都宮ICでの日光宇都宮道路の接続まで6車線である現在の形態となったのは、何と1999年まで遅れる。
なお、川口で首都高速に直結するのは1987年まで遅れる。これが全線開通。1972年の岩槻~宇都宮ICけっこう建設に年月がかかっている。やはり、大したことのない一般道のみでの東京接続というのは相当なハンディーで、交通量が伸びなかったのだろうか?別に東名の厚木IC~御殿場ICのように、山岳部を別線線増したわけではない。用地などは準備されていたのである。
6車線の高速というのが珍しかったわけではない。京葉道路も早い段階で船橋まで6車線化されているし、東関東道は成田空港開業とほぼ同時に6車線である。

似た事例だと、常磐自動車道も友部JCTまでの6車線化は2000年であった。(常磐自動車道自体、東京起点の自動車専用道路では最も開通が遅く、1980年代まで着手されなかった。それゆえに既存の高速道路の自然渋滞への反省から、速度低下につながる微細な上り勾配の排除など、渋滞解消への配慮が設計時点から行なわれている。)

この手の道路建設史の体系的な叙述はないものだろうか?鉄道ならば「鉄道ファン」あたりの数年周期の特集で、いやというほど新幹線やヨンサントウ、ブルートレインなどの歴史を読まされるのに、道路はそういうものがない。
交通路研究の中で、道路マニアがいかにニッチな趣味であるかを象徴している。
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