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2004年 欧州の高速列車事情1 [鉄道]

0、はじめに
 
東海道新幹線が開通してから40年経ち、最高速度200キロを超える初の鉄道システムとして成功し、世界の鉄道の高速化に大きな刺激を与えた。それまでは鉄道は長距離の移動の道具としては将来性が危惧されており、航空機と自動車に移行していくものと考えられていたのである。
特に航空機との競争は看過すべからざる問題である。最近まで新幹線の独壇場のように思われていた東京―大阪でも、新幹線開通時点で激化しており、1日40往復以上が運航され、ヘビーユーザーから乗り換えが進んでいた。以後ジェット化による輸送力向上を経て、1976年のエアバス規制撤廃と東京―大阪便の大減便 (1)まで、拮抗状態が続く。
ヨーロッパ諸国でも航空機の攻勢に対して、手をこまねいていた。北欧に向かう「北急行」、「オリエント急行」など、往年の名列車は上級クラスの乗客を失っていき、運転区間の短縮、出稼ぎ労働者用の2等中心の編成への移行などで、かつての栄光を失っていった。
西ヨーロッパ各国の国鉄は何とかして、ヨーロッパ内を出張で移動するビジネス客を囲いこむべく、高度に連携して、オール1等の豪華列車 TEE(Trans European Express)(2)を西ヨーロッパ一円に運行した。多くの列車は朝夕の時間帯のみに運行され、ビジネスマンの出張に利用できるように配慮した。固定窓による空調された車内 (3)などは、以降の優等列車の標準となった。食堂車の連結は勿論のこと、「ル・ミストラル」ではブランド品の販売店、理髪店などの多彩なサービス(4) も登場した。一等車の中でも乗客の好みに合わせてコンパートメント・開放室の双方のタイプが多くは連結された。
しかし、B727、B737、DC9など第二世代のターボファン方式のジェット機が登場するに至り、中短距離路線でも高効率な頻繁運航(5) が可能となり、ヨーロッパの主要都市は1時間程度の間隔の航空路で結ばれるようになった。日程の自由度(6) の点でも、本数の少ないTEEはビジネス需要から見放され、利用は低迷(7) した。
また、ヨーロッパでは、ナチス時代から整備された速度無制限のアウトバーンを持つドイツを中心として、高速道路での巡航速度が高く(8) 、表定150キロ程度での移動も可能である。表定100キロ程度では、とても車に対抗できないのである。また、急ぐ車は最優先に通すという交通マナーが確立し、高速で走る高級車は設計時点から最善に安全に配慮するとともに、運転者はますます正確な運転に徹するべきである(Noblessse Oblege)という文化が形成されているのである。
鉄道は新たな手に出る必要があった。

なお、本稿においては高速列車の定義として新幹線のような専用軌道に拘らず、在来線利用を含めて最高160キロを大きく超える列車(9) と定義しておきたい。ただ、カーブの高速化のために振り子式を採用した列車も多少取り上げたい。
単なる高速運転ならば1970年代のTEEの一部でも、最高速度200キロ、表定速度150キロ程度を達成していた。が、多くは1日数本の運行に限られ、飛行機からビジネス客を奪うことには限界(注6参照)があった。また1等のみの運行も利用しにくさを高めてしまった。現代の高速列車の条件として、せいぜい1~2時間程度の定間隔で運行されることもより厳しい条件として入れる必要もあるだろう。日本のL特急やヨーロッパのICの発想である。

これから高速列車を見る上で注意しておかねばならないのは、鉄道というシステムは社会・国家の制度、習慣などに強く規制されるものであり、歴史的経緯を無視することはできないということである。従来の技術水準を遥かに超えるシステムは、トラブルなどが頻発しやすく、安定した運行は困難となる。
色々な意味で日本の新幹線を超える要素をも持つに至ったヨーロッパ各国の高速列車も、ヨーロッパの鉄道がイベリア半島、ロシアを除いて標準軌という共通規格でレールをつないでいる中にあって、相対的に各国の枠内で運行されるものが多い。TGVなどはスイスやイタリアに乗り入れているが、在来線経由での直通運転にすぎず、専用軌道で高速運転を行っているわけではない。スウェーデンのX2000やLINXも隣国への乗り入れ区間では、高速運転を行っていない。高速列車の純粋な国際運行は、タリス(フランス―ベルギー)、ユーロスター(パリ―ロンドン、ブリュッセル―ロンドン)にまだ限られているといっていい。これからは増えるという見通しはあるが、ヨーロッパも広く、最高350キロ程度の高速運転を行っても、1000キロ程度かそれを超える距離での運行は、航空機との競合に勝つことが難しいように思われる。
高速列車の運転形態は、国情を十分に反映している。近代の合理精神の権化のように、パリへの中央集権体制を取るフランスではTGV網はパリから放射状に3方向に伸びているのに対し、近代国民国家の成立が遅れ、分権的な国家体制のドイツでは、ICEも旧西ドイツを中心として網の目のように(10) 列車が運行されている。

本稿では出来るだけ、各国の高速列車の沿革(11) と時刻表、その他の基礎情報と共に、実際に乗車した経験を下に叙述したい。なお時刻表としては、日本語版Thomas Cook2004年秋冬版を使用したが、季節による本数の増減については了承いただきたい。スペインのAVEとイギリスのHSTには乗車経験がなく、詳しく触れられないことを断っておく。

表:各国の高速列車の新線の路線規格一覧
路線名 最高速度 電化方式 最小回転半径(12) 最大勾配
TGV南東線(13) 260→300 km 25000V、50Hz 4000(3250)m 35‰
TGV大西洋線 300km 同 4000(3200)m 15(25)
TGV北欧州線 300km 同 6000(4000)m 25
ICE 250()km 15000V 7000(5100)m 12.5
ICE(ライン・マイン線) 300(330)km 同 3350 40
Direttissima(イタリア) 300 直流3000 3000 8.5
東海道新幹線 210→270km 25000 2500 20
山陽新幹線 210→300km 同 4000 15
東北新幹線 210→275km 同 4000 15



1、フランスとTGVベースの諸列車

 フランスはヨーロッパにおける鉄道高速化の先駆者である。記録のための記録という面もあるが、1955年には試験運転で時速331キロ(14)を達成 し、今もTGVで不倒の515.3キロの速度記録 (15)を誇っている。定期列車においても、日本の新幹線に刺激を受け、1967年からパリ―トゥールーズ間のTEE「ル・キャピトル」で200キロ運転を開始し、パリ―ボルドー間の580キロ(!)でノンストップ運転の「アキテーヌ」などが運行されてきた。TGVはその正統的な継承者である。

1.1.TGV南東線

 1980年代初頭に最初に開業したTGV南東線(16) は、日本の新幹線とは全く違った設計思想で話題になった。両端の機関車で8両の客車を挟む動力集中方式、連接式の台車、急勾配を排除せず、トンネルをなくすことで低コストでの建設を実現した線形、在来線とのいくつもの分岐、合流 (17)などである。フランスの国土がなだらかな丘陵の続く地形であったため、急勾配が連続的なものでなく、アップダウンの連続であったため、列車の速度を落とさずに急勾配区間の設定が可能となったのである。また在来線と共通した標準軌の利を生かして、市街地では在来線に乗り入れることで、市街地の新線建設にかかるコストを削減し、末端区間で在来線に乗り入れることで、乗り換え抵抗をなくすことに成功した。
何より最大の衝撃は、1964年の東海道新幹線の開通以来、15年も変わらなかった新幹線の当時の最高速度210キロ(18) を大幅に破る260キロを当初から営業最高速度として採用したことであった。車内に関しても、片方向向きの集団見合い式の座席も、当時集団離反式のリクライニングシートを新車・改造車に採用していた新幹線(19) とよく比較された。
また中間駅の需要を度外視し(沿線に重要都市がなかったことも一因である)、直線状に建設された(ディジョン経由の在来線に比べて84キロも短縮された。)路線には在来線との交差部に小さな3駅が設けられた他はリヨンまでの2点間輸送に特化した路線選定となった。事実、殆どの列車がパリからリヨンまでノンストップで運行されている。
その後南東線は、1983年に最高速度を270キロに向上した。2001年6月にはマルセイユまで延伸開業し、所要時間が4時間20分から3時間に短縮された。フランス国内の最大の航空路であったパリ・マルセイユ線も減便(20) を余儀なくされた。延伸区間の最高速度は300キロである。

南東線の現在のダイヤは区間乗り入れも多く複雑であるが、大略を述べる。
全体として利用者が特定の列車に集中しないよう、地域分離型のダイヤになっており、行き先の多彩さも合わせて、東北新幹線に似たダイヤである。なお曜日により本数に増減があるが、平日の平均的なものをとった。
大体マルセイユまでノンストップの速達列車が毎時20分発でマルセイユまで750キロ (21)を3時間4分で走り、表定速度は247キロ(仮)に達している。新大阪・博多間2時間17分運転 (22)の500系のぞみの表定242キロと世界一を競っている。
南西のニーム方面(モンペリエ、トゥールーズなどに直通運転)が24分発でパリ・ニーム686キロを3時間4分運転である。
また、0分(30分も)にはリヨン行きがあり、ジュネーブ行きが1日7本、シャンベリ経由のアヌシ―行きが5本、グルノーブル行きが6本運転されている。
1~2時間に1本、TGV北線からシャルルドゴール空港経由で乗り入れがある。
南東線の車両には開業以来のTGV-PSEとともに、輸送力増強のために投入された2階建てのTGV-Duplexがある。PSEの中にはイタリア・スイス乗り入れ用の複電源車もある。

1.2.TGV大西洋線

南東線に続いて建設されたのは、フランス南西部のナント、ボルドー方面(途中のクルトランで二方向に分岐する)への大西洋線である。1985年から工事が始まり、1989年には共通部分とナント方面へのフォントネーオーズ・クルトラン・コヌレ間(175.6キロ)、1990年9月にはクルトラン・サンピエールデコール間(86.9キロ)とトゥール迂回線が開通した。ボルドー方面へは、トゥールから先は長い在来線区間が続くが、TEE時代から200キロの高速運転が行われてきた線形良好な区間であり、ポワティエ・ボルドー間(249キロ)の在来線区間を1時間32分(23) で走破し、表定速度は162.3キロと高速である。パリからの表定速度も190キロを超えている。ボルドー方面への延伸計画はあるが、他の計画線よりも優先して急いで新線を建設する必要がないというべきだろう。
車両には大西洋線用のTGV-Aが使用される。PSEから動力車の出力が増強され、12両編成となった。
大西洋線のダイヤはパリ・ボルドー間ノンストップの速達列車が1時間に1本で、570キロを2時間56分で運転。多くの列車はトゥールーズやイルン(スペインとの国境駅)、タルベスなどに乗り入れる。5本が北ヨーロッパ線のリール、ブリュッセルから直通する。殆ど新線区間を走る短距離列車としてはパリ・トゥール間に1時間2本程度が運転され、224キロを1時間4分で走る。ポワチィエなどに停車する各停便が1時間に1本程度。5本が大西洋に近い都市ラロシャテルに乗り入れる。
ナント、レンヌ方面へは在来線に入って、ルマンでさらに2つに別れる。ナントまでの速達便が0分発で1時間に1本、387キロを最速1時間59分で走る。レンヌ方面へは5分発で365キロを最速で2時間3分運転である。双方とも朝夕には増発され、30分間隔になる。

1.3.北ヨーロッパ線とユーロスター

北ヨーロッパ線については、ドーバー海峡をくぐるロンドン行きのユーロスターやベルギーのブリュッセル、さらにはケルンに至るタリスなど国際列車も走り、最も国際的な路線である。
フランス国内区間は1989年から工事が始まり、93年5月にはパリ近郊のゴネスからアラスまで開通し、9月にはリールまで伸びた。パリ・リールは224キロである。ドーバー海峡トンネルの開通に伴い、1994年11月からユーロスターの運転が開始された。ブリュッセル方面とはゆったりした曲線で壮大な立体交差で分かれていく。270キロで走行できるように設計され、速度も殆ど落とさないため、うっかりしていると分岐には気付かないほどである。土地に余裕のあるフランスならではの風景である。

ユーロスターは、当初は本数も少なく、イギリス国内では殆ど第三軌条の在来線 (24)を走るなど、暫定的な印象があったが、今日ではイギリス国内の新線も開通し、すっかりパリ・ロンドン間の移動手段として定着した。とはいえ、ヨーロッパの経済・航空の中心であるロンドンからは多くの航空便が高い割引率 (25)で運航されており、ロンドン・パリに関しては航空便もそれほど本数を減らしていない。ユーロスターにはイギリス側では入出国審査 (26)が必要であり、ロンドン ウォータールー駅 (27)では航空便なみに30分前にチェックインが必要であるなど、飛び乗りのできる鉄道のメリットが減って、航空機に近いシステムをとっているためだろうか。運賃に関しては、建設費を償還するための高額のトンネル通過料を払う必要があり、あまり安くできない事情(28) もあろう。安さよりは時間の正確さで航空機と勝負しようとしている印象があるが、潜在需要の多くを取り逃がしているように思える。
ドーバー海峡トンネルの有効利用のためには、現状のユーロスターの運行区間は航空機との競争力の持てる区間としては限界に近いものがあるが、TGV南東線との直通運転の開始などの更なる需要の拡大を図る必要がるように考えられる。またドイツ・フランスの殆どの都市に対しては夜行列車の有効時間帯であり、寝台列車の設定も考慮すべきであろう。
ユーロスターの車両はさらに長編成となり動力車2両を含む20両固定の堂々たる編成である。2両は軽食堂車である。1等車が中間の6両、2等車が残りの10両である。1等では午後に軽食、夜は何種類かのコースから選べる夕食のサービスがある。プレミアムファーストクラスと呼ばれるサービスもあり、市内から駅までのハイヤーによる送迎、ラウンジの利用 (29)などが可能になっている。1、2等ともに、航空機のように正規普通運賃と割引運賃などの複雑な区分があり、正規運賃は1等で片道40000円程度と高価だが、予約した列車に乗り遅れても無料で後続列車に変更が可能など高いフレキシビリティーを持っている。
ロンドン・パリのユーロスターは1日12本程度が運行され、最速2時間35分で運転されている。近年まで約3時間かかっていたが、イギリス国内の新線区間の開業でスピードアップした。ロンドン・ブリュッセル間は9本である。
パリ・ブリュッセル間のタリスは、日中25・55分発で多くの本数が運転され、313キロを1時間25分で走破している。当然ながら航空便は廃止され、航空会社とのコードシェアが行われている。5本がアムステルダムまで4時間11分の所要時間で運転されているが、在来線で速度が出せていない。6本が3時間54分でドイツのケルンまで運転されている。フランス国内ではパリからリールヨーロッパまで1時間4分、28・58分発の30~60分間隔で、アラスから在来線を走る短距離便が概ね1時間間隔で運転されている。

1.4.TGVの印象

 これまでのTGVは以後も動力集中方式を堅持しているが、いくつかの問題点も生じているように思われる。例えば旅客数の増大によって輸送力が不足し、2編成を併結した20両編成での運行が常態化しているが、パリの始発駅たるリヨン駅などヨーロッパの頭端式では、コンコースと反対側の先頭車に近い車両に行くのが遠いこと、20両編成のうちで、座席数とは関係ない4両が動力車となることの非効率の問題である。また、輸送力を確保するためにシートピッチは詰め気味であり、1等車でも980mmと狭い。874mmと飛行機並のピッチの2等車の窮屈ぶりはJR東日本のE653系などを彷彿とさせる。よくフランス語教師などの盲目的なフランス崇拝者は「2等車でもTGVは新幹線のグリーン車より広く、快適である」というが、いかに先入観に支配されているかが分かる。また航空機と同じ発想なのか、窓割りが座席と一致しておらず、窓なし席 が多数存在している。同じ詰め込み構造なら普通車が2-3列であり、輸送力に効しない動力車のない新幹線の方がましのように思える。ただし、TGVで褒めるべきはインテリアであり、別に金をかけたとも思えないそっけなさながら、安っぽくないモダンさを基調としている。明るい雰囲気の車内が狭さをごまかしているとも言える。


(1)伊丹空港騒音訴訟の原告側の論法では、民間航空の公共性が争点となった。この中では鉄道によって代替が可能な区間の航空路は、有産階級のための非公共的な乗り物であるとの論理が展開された(宮本憲一)。判決では公共性の問題については判断を差し支えたが、JAL・ANAの2社は機材の大型化(727-200・DC8-61→L1011 ・747SR・DC10)を図って、3分の1の13往復に減便した。成田空港が開業する直前で羽田空港の処理能力が逼迫しており、地方便により多くの便数を運航するためにスロットを譲る意味もあったと見られる。
(2)当初は各国の電化方式の差もあり、あえてディーゼルカーで運行されたが、居住性の面で問題があり、順次ヨーロッパ共通規格の客車に置き換えられた。
(3)当時のTEE用の車両は今日でもサービス水準の高さ、高速性能が評価され、ドイツ国鉄では経年40年近い1等車を最高200キロで運転している。
(4)第二世代の客車で採用されたが、利用者は少なく、TGVが登場する以前に開店休業状態であったらしい(山之内秀一郎『新・ヨーロッパの鉄道』「鉄道ジャーナル」連載)。
(5)ターボジェット方式の初期のジェット機は燃費が悪く、長距離路線でないと利益を出すことが難しかったが、第二世代ではシートコストはプロペラ機よりも低下し、短縮した到達時間と100人を超える定員によって、大幅に従来より運航効率が向上した。
(6)ビジネス需要において、乗車列車・便を自在に変更できる、どの時間帯にも十分なだけの本数が運行されている、というのは、到達時間の短縮と同じくらいに営業施策として重要なことである。多くの用務出張では、用務の終了する時間は事前に読めないものであるのに、用事が終われば一刻も早く帰りたいものである。従って、近年のJR東海のExpress予約でも「何度でも乗車列車を携帯電話から変更可能」という点が強調されている。
(7)当時のヨーロッパ鉄道旅行記で、TEEが混んでいたとか、きっぷが取れないとかといった話は殆ど見受けられない。
(8)ただし、近年では環境意識の高まり(保険の問題もあるらしい)などからアウトバーンの巡航速度は低下している。それでも120~150キロは依然として普通の速度である。
(9)社会主義下のポーランドでも高速新線(C.M.K.fastlineと呼ばれる。)が建設された。ワルシャワ・カドビッツ間を結ぶ224キロの路線で、1978年に完成した。曲線半径4500m、最大勾配5‰と優れた規格である。だが、社会主義国らしく、当初は貨物列車にしか使用されず、1984年からは旅客列車も運転されるようになったが、今日でも最高速度160キロに留まり、最速列車でも2時間27分を要している。信号・軌道その他の条件が高速運転に対応していないのである。(田口雅弘氏のサイト「ポーランド情報館」http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/によった。)
(10)ベルリンを中心とした路線網は、ドイツ帝国の中心に向かう路線として明確な放射状となっている。今では幹線ではなくなっている区間もあるが、もとはドイツ領だったポーランド西部、旧東プロイセンまでもがベルリンを中心とした放射状の路線網を形成しているのは対照的である。しかし、ICEの新線が建設されたハノーバー方面を除いては、ナチスドイツ時代の運転時間からスピードアップしていないか、ダウンしている現状である。そもそもThomas Cook時刻表の東ドイツ部分は、列車の少なさに驚くほどで、鉄道の停滞は著しいものだった。
(11)細かいデータなどは住田俊介『世界の高速鉄道とスピードアップ』日本鉄道図書出 版が簡潔にまとめており、参考となった。
(12) ( )内は例外的に採用されたものを表す。
(13)マルセイユ延伸線は当初から最高速度300キロ
(14)ただし、強力な機関車を回転数の限界まで使って記録したものであり、線路も架線も二度と使用できないほどガタガタになっていた。
(15)開業前の大西洋線を使用した記録である。以前の331キロのように軌道を激しく損傷するものではなかったものの、中間車を抜き、電圧を上げ、車輪の直径を大きなものに交換して達成されたものである。これ以上の速度は鉄輪方式では粘着の限界に到達するため不可能と考えられている。このような非現実的な速度記録に固執する国民性には、近代の大陸合理論の到着点としてのフランス国家の極端さ、フランスが世界一という中華主義が見られる。国内の電力の殆どを原子力で賄うことに代表される科学・エリート絶対主義につながるものであり、殆どの日本人の持つおしゃれなフランスのイメージとは殆ど関係ないフランスという国家・国民の本質が見てとれる。
(16)1981年に南側のサンフロランタン・サトネイ間(272キロ)、1983年にパリ側のコムラビル・サトネイ間(117キロ)が段階的に開通した。
(17)イタリアのフィレンツェ・ローマの高速新線も同様である。
(18)東北新幹線は1985年の上野開業を機として200系F編成の最高速度を240キロに向上したが、TGVの260キロを破ったのは1990年の「あさひ」の275キロ運転(上毛高原―浦佐間の下り線勾配を利用。時間短縮の効果は小さく、現在は中止されている)と、1992年に運行を開始した「のぞみ」の270キロであった。しかし、その時点では既にTGV大西洋線で最高速度300キロの営業運転が開始されていた。
(19)従来の0系が転換クロス式であったため、サービス改善として導入されたが、乗客には不評であり、1985年に登場した100系からはシートピッチを広げ、3列側も回転できるようにし、この方式が新幹線のスタンダードとなった。
(20)他の航空便からの乗り継ぎもあり、リヨン行きですら、航空便自体はなくなっていない。
(21)営業キロであって、実際の運転距離(マルセイユ延伸線の正確な距離が分からなかった)は短い可能性もある。
(22)現状では殆どののぞみが新神戸に停車するようになり、朝に1本を除いて2時間21分運転となっている。
(23)日曜運休の8501列車。これ以外はボルドーまでノンストップか、トゥールなどの中間駅にも止まる列車となる。
(24)イングランド南部の路線は殆ど第三軌条方式である。直流750Vの規格は地下鉄の延長といった印象である。
(25)ヨーロッパではeasy jetなどの格安航空会社も盛んである。空いた郊外の空港を使い、予約などにインターネットを多用してコストを削減したこれらの会社の前売り料金は驚くほど安く、イギリス国内で片道数ポンドとか、高くても数千円でヨーロッパ一円を旅行できる。空港へのアクセスの方が高くつくほどである。安さを求める層は飛行機に逃げてしまっているのである。
(26)多くのEU加盟国はシェンゲン条約に加盟し、空港などでは従来の入出国審査はほとんど廃止されている。しかし共通通貨のユーロへの参加が見送られているのと同様に、イギリスのみは独自の厳しい入出国審査の体制が取られている。これには英語圏の中心であることから、外国人労働者の入国を厳しく制限しようという方針が関係している。余談ながらイギリスは日本人の長期旅行者、留学生が最も厳しく審査され、時に送還される国として悪名高い側面も持つ。
(27)将来的にはキングスクロス駅に移動する予定である。(追記 2009年現在、移転済み)
(28)このあたりは国鉄債務の返済と利子の支払いのために収入の多くを取られてしまう東海道新幹線に似ている。
(29)日本で買った1等乗車券にはラウンジ利用特典が付いていることが多い。

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