SSブログ

歌会始め [皇室]

今年は、初めてNHK総合の中継で生で歌会始を見た。途中からだったので、儀式次第などを取り違えているかもしれない。

読師たちが国会の速記者みたいに中央のテーブルに集まっていたり、あの独特の音調など、やはり映像と音声がないと、さっぱり意味がないと思った。新聞記事や皇室本の記事では全く意味がない。詠まれた歌だけを字で見ても数パーセントの情報しか読み取ることができない。
(まあ儀式というものはそういうものだ。全体を通して見ないと分からない)

こういう順序で詠まれるようである。

一般の歌→召人→秋篠宮(皇族代表)→皇太子→皇后→天皇

という順番のようである。常陸宮とか高円宮妃など一般皇族の歌は、メディアに公表されるけど、儀式の場では詠まないということを初めて知った。
逆に皇太子妃は「病気」で欠席しているので、本人不在のまま歌だけが詠まれる。
人名の読み方も独特である。秋篠宮でなく「ふみひとのみこ」、皇太子ではなく「ひつぎのみこ」と呼ばれる。天皇については「おおみうた」と呼ぶだけだ。和文脈のややこしい皇太子の呼び方は、つい「のちのみこのみこと」こと高市皇子や、「ひなみしのみこのみこと」(でいいはず)こと草壁皇子を思い出してしまった。
一般人も「谷川の健一」のように、名字と名の間に「の」が入る。ただこれはおかしい。古代的・律令制的なカバネと中世的なミョウジを混同していると思う。

どうやら近代、特に昭和になってから作られた伝統も多いようだが、却って興味深い点もあるようだ。
以下の対談が非常に参考になる
丸谷才一・山崎正和「あけぼのすぎの歌会始」『半日の客 一夜の友』文春文庫・1998(初出1987)

もう一つ気になったことだが、出席する成年皇族が激減している。男性は順番に皇太子、秋篠宮、常陸宮であり、女性は秋篠宮妃、常陸宮妃、高円宮妃だけである。もう三笠宮夫妻は出席しないし、ヒゲ宮の妻子も出ていない。
そもそも寛仁親王は体が癌だらけで、ノドも手術して肉声を失ってしまった。麻生首相の妹の寛仁親王妃は皇太子妃の比でないほど重症な鬱病で、もう人前には出られないらしい。桂宮は車椅子生活で長らく歌会始めに出ていないし、もう男子皇族でまともに働けるのは秋篠宮だけのような状況である。
あと一人を忘れてはならない。もう93歳で、末っ子をなくし、二人の息子も病身の中で、老三笠宮のご健康が心配である。新年の宮中参賀にも出ていたのだが。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。