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東北地方への帰省輸送 [鉄道]

(某媒体に2002年に書いた原稿の再録)

0. はじめに(夜行列車の現在について)


 戦後の高度経済成長は、日本の社会の姿を大きく変えた。その最大のものは農業から工業への労働力移動、農村から都市(太平洋ベルト地帯)への若年層の人口移動(1) であった。1960年代、中卒者は「金の卵」として首都圏において生産・サービスの即戦力としてもてはやされた。その就職活動は中学校・都市と地方の公共職業安定所が一体となって代行し、人数がまとまれば集団就職列車が運転された。集団就職列車の実態については浅野明彦の近著 (2)が明らかにしている。が、帰省の手段としての夜行急行の記述については物足りないものがあるので、本稿で若干の事項について付加しておきたい。また、農閑期の出稼ぎ(集団就職者の親の世代)者の帰省も含めて考えるべきであろう。

 現在は、東京から東北地方への鉄道アクセスとしては東北・秋田・山形・上越新幹線と、在来線への乗り継ぎが一般的である。1993年のダイヤ改正での衝撃的な話題であった定期夜行急行全廃(上野―青森間での、東北本線を経由する「八甲田」、奥羽本線経由の「津軽」の廃止)以来、間もなく10年が過ぎようとしている。上の二つは当初、多客期は一ヶ月以上もの期間に臨時列車として運転されていたが、徐々に運転期間を減じてゆき、今では影も形もない。残る夜行列車は客車寝台特急の「はくつる」と「あけぼの」のみである。最多客期とて、「はくつる81・82号」が寝台電車583系で運転されるのみで、これも今年12月の東北新幹線の八戸延伸で廃止されるとの見方が濃厚である。
 だがこの現状は、利用者に多様な選択肢を提供するという観点からは正しいであろうか。新幹線からの乗り継ぎは確かに速い。東京―盛岡では速達「はつかり」でも6時間かかったが、現在は速達「やまびこ」で2時間半弱である。が、新幹線特急料金は5650円 (3)である。
更に問題は夜行列車である。寝台特急では開放B寝台・ソロ料金6300円+特急料金が運賃に付加(4) される。これは決して安いものではない。鉄道の普通運賃に相当する高速バス(5)の運賃には圧倒的に価格面で遜色がある。JR化後の長期低落状況は打破できそうにない。しかし急行の自由席料金は201キロ以上1260円であり、これならば何とか高速バスに対抗が可能である。勿論旧態歴然としたボックスシートではなく、3列の高速バスと同等の設備 (6)としてだが。また、東北本線盛岡以南・羽越本線沿線など、寝台特急化によるスピードアップで夜行列車の有効時間帯から外れた地域 (7)にも救済が出来る。
また、今回の「波動輸送」というテーマに照らしても、鉄道は夜行バスに対しても優位に立っている。高速バスの経費の大半は運転手の人件費であり、1台の定員が決まっている以上、増車による経費逓減は見込みがたい。しかし鉄道の場合は編成増強(8) や増発によって旅客一人あたりの経費逓減が可能である。
 
1. いくつかの予備知識

・戦後、第一次産業から第二次産業への労働力移動、即ち多くは太平洋ベルト地帯への若年層の人口移動が起こり、帰省輸送が本格化した時代、道路や飛行機が未発達で、鉄道がほぼ唯一の帰省手段だった時代、言い換えれば国鉄の長距離輸送が頂点に達した時代の状況は現在からは想像しがたいものがある。いくつかのキーワードから当時に迫ってみよう。

   発駅着席券
「交通公社の時刻表」1970年8月号(9)の「国鉄の営業案内」(いわゆるピンクのページ)410頁には、寝台券・指定券の説明に続いて

9.発駅着席券∕お盆や正月のとくに混雑する時期などに安心して座席が確保できるように発駅着席券(50円)を発売します。∕発駅着席券を発売する列車、期間、発売ヶ所などは、そのつど、駅、営業所、時刻表、車内吊りなどでご案内します

とある。多客期の上野駅、上りの途中駅の各列車を待つ列が尋常でないものとなり、着席整理券として発行するようになったものである。巻頭の「夏の臨時列車増発のお知らせ」では、「42万枚」の発売が記され、「発駅着席券を発行する列車」として東京地区(10)・中部地区・関西地区・中国地区・四国地区・九州地区・新潟地区・東北地区に分けて各列車が掲載されている。問題の東京地区・東北地区で、下りは上野駅発「8月11日から8月14日までの毎日、午前10時までに発車する東北・奥羽・磐越西・常磐・上越・信越線列車及び8月11日から13日までの毎日、午後7時以降に発車する東北・常磐・上越・信越線の夜行列車」・品川駅(11)は「8月11日から13日までの毎日、奥羽・磐越西線の夜行列車」が、上りは青森(12)・盛岡から大館・湯沢・米沢レベルの駅まで割り振られている。発売箇所は7月中が都内の主要駅と交通公社営業所で、8月1日からは上野駅(13)(全て )と品川駅(奥羽・磐越西線)である。
今から考えれば、指定券で一本化するべきであろうが、当時のマルスの能力の限界、あくまで当日に上野駅ホームに列をつくことの代わりの整理券として考えればうなずける。

   出世列車
集団就職などで東京に出た者が故郷に錦を飾るには、帰ってくる列車と車両が問題であった。特に「津軽」は奥羽北線沿線から長い間唯一の上野直通急行であったから、座席車主体ながらA・B寝台・グリーン車を長く連結していた。が、全ての人が成功して故郷に帰れるわけではない(14) 。鈍行で帰らねばならない者もいたろうし、帰ることが出来なかったものもいたはずである。秋田出身の知人なども「残酷な呼称だ。」と強調していた。

   わこうど号(15)
勤労青少年の帰省のための全席指定の臨時列車で、1972年12月号の時刻表によると指定券を特別に1ヶ月前から発売した。当時の指定券発売は7日前からであった。東京・大阪などの他に刈谷・岐阜・四日市など大工場のある都市にも設定されている。「八甲田」「津軽」「蔵王」などの臨時列車が「わこうど蔵王」などに改称された。最寄り駅から乗れるよう、有効時間帯の停車駅はきめ細かくあり、下りは夜行、上りには昼行(中距離)・夜行(長距離)だった。「シュプール」などと同じで、夜行明けで出勤するのは辛いからだろう。

   グリーン車
等級制廃止により、この頃が最も割安。目ぼしい急行には2両(16)も連結され、電車・気動車の冷房化も完了、夜行客車急行にも冷房化されたスロ54やスロ62(17)が多く連結されていた。ボックスシートの急行普通車との居住性の差は歴然とし、利用は大衆化しつつあった。が1950年代の特ロから改良のない設備、1970年代後半の相次ぐ値上げで客は離れていった。

   フルセット急行・輸送力列車・寝台専用列車
本来、1950年代からの歴史を持つ急行は、AB寝台(18)・グリーン車・食堂車・普通車指定席・自由席と、多様な編成を提供するフルセット急行であった。が、国鉄は1960年代以降、客層の分離と運用の効率化のために夜行急行に対して、寝台専用列車(19)と輸送力列車(普通座席車中心)に分割を図った。本稿の範囲では「北星」と「いわて4号」などの関係がこれに当たる。とはいえ、「津軽」や「鳥海」では東北新幹線開業までフルセット急行を維持した。寝台専用列車は多くはブルートレインに格上げされた。

 以下ではかつての東北方面への定期・臨時を含めた夜行急行などの実態について記述する。が、定期の1列車ごとの現在までの変遷を書くのは煩瑣であり、予定臨のスジの変遷などには不明な点も多いことから、私見による最盛期 (20)についてその時の断面を書きたい。



(1)この現象について最も体系的に、社会科学的視点で調査した著作に加瀬和俊『集団就職の時代』青木書店・1997がある。
(2)『昭和を走った列車物語』JTBキャンブックス・2001の第11話「集団就職列車」
(3)勿論、各種の割引きっぷ(たび割セブン・こまち回数券・○×往復きっぷなど)はあるが、利用の柔軟性・多客期の使用などに難があり、また購入する際に客側に知識が必要である。
(4)夙に寺本光照も『夜行列車はどうなっている』(中央書院)で寝台列車という料金カテゴリーの新設を主張している。
(5)青森・弘前・八戸・盛岡・宮古・一関・釜石・水沢・仙台・大館・秋田・角館・横手・鶴岡・羽後本荘・新庄・山形などに運転されている。
(6)「あかつき」レガートシートほどでなくとも、国鉄時代のグリーン車レベルの165系ムーンライト車でもよい。
(7)本文に見るように、1970年段階では福島・会津若松・仙台・山形志向の夜行列車も多かった。
(8)東北の幹線では13連くらいまで対応している。
(9) 『時刻表復刻版 戦後編3』(JTB・2000)に収録された1967年9月号(まだB6版)には記述がない。恐らくこれ以後に作られた制度と見られる。
(10)といっても、既に西行きは新幹線が柱になり、「ひかり」編成は16連化され、規格化されたダイヤで十分な輸送力が確保されているため、東北・新潟方面しか発売されない。
(11)臨時列車の運転などで頭端式の上野駅の線路容量が限界に達するため、奥羽・磐越に支線の定期・臨時急行は品川駅の臨時ホームから発着し、山手貨物線を経由して赤羽に出るようにされた。が不評のため、1972年頃に中止された。
(12)上野行き9列車も設定されており、これは連絡船からの乗り換えが考慮されているのだろうか。それならば、北海道内でなく、青森駅だけで発売しているのは奇妙である。或いは青森県内の人が東京に戻る際に、乗り継ぎ客と対抗せずに座れるようにする措置だろうか。
(13)一部の列車が品川駅発になっていることを知らない旅客のための措置であると推察され、その際に品川発であることを確認してもらうという配慮であろう。
(14)例えば、映画『男はつらいよ 奮闘篇』では、榊原るみの演じる自閉症の少女が鯵ヶ沢から都会に出て、人に騙されたりするのを寅次郎が助ける話である。
(15)以下の記述は浅野明彦の著書に多く拠っている。
(16)急行には、自由席グリーンと指定席グリーンの双方を付けるという事情もあった。
(17)大正期の木造客車の台車・台枠を流用した鋼体化車オハ61にシートピッチ1270mmでリクライニングシートを取り付けたオロ61を低屋根・AU13による冷房化を施したもの。
(18)等級制廃止までは1等A(旧一等・ナロネ20・22など冷房付き個室)・B(マロネ41・オロネ10など冷房付き開放)・C(非冷房)・2等寝台(勿論、非冷房)の区別で寝台料金に格差あり。
(19)寝台専用列車は、少数の指定席車を連結することもあった。
(20)特急中心史観では1975~78年(この改正でスピードダウン)が最盛期であろう。が、この時期には急行は最早、上野―仙台を5時間以内で結んでいないし、特急への旅客の移動が進んだためか、12・14系使用列車が増え、旧型客車による臨時急行も少ない。

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