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ツツミ時代のスキー場宣伝とアウトレット [交通]

今考えると、金沢ローカルでのコクドスキー場の広告量は凄かった。
1991年新設の北陸朝日の創業期にローカルのスポットCMは、冬期は半分近くコクドからみだったんじゃないのだろうか。だがその広告料は脆弱な平成新設局の経営の支えに使われ、久米宏・田原による自民党政権つぶしの番組の放送、珠洲原発計画打破のためのローカル番組に使われたとも言え、自民党各派閥と一体の堤義明の経営とちっとも方向が合致しなかったのだから、皮肉なものだ。
2000年代半ばの西武の経営改革で全く状況は変わり、CMは激減した。

その内容も注目すべきもので、妙高杉の原や焼額プリンスホテルとかメジャーなものと同レベルに、「かぐらみつまたマイカースキープラン」とか「ごりん高原スキーキャンプ」とかニッチなものが多かった。なぜか苗場プリンスホテルは相対的にあまり宣伝していなかった。
恐らく首都圏の大市場への宣伝・営業で足りない部分を北陸地域への拡販で何とかしようとしたのだろうか。
恐らく、費用対効果を考えると、コクドにとって北陸は極めて大きな市場だったのだろう。首都圏は市場も大きいが、広告代も高い。しかもスキーブームも過ぎつつある時期には、非スキー人口の多い首都圏に営業しても歩留まりは悪い。首都圏には全くのスキー・スノーボード初心者も多いが、雪国では学校の日帰りスキー遠足があるので、ボーゲンも出来ない若年層・中年層は稀である。つまりターゲットCMになるわけで、広告効果が高い。広告料が安いのも、限られた予算で宣伝せねばならぬ担当者には魅力的だったろう。

上信越道が出来る前から妙高あたりに行く北陸人は多かったし、雪が少なかった1990年代当時の石川富山のスキー場の積雪量・雪質は悲惨だったから、今より信越地域に行くモチベーションはあった。だいたい長野オリンピック前には上信越道は碓井軽井沢止まりだったし、道路アクセスに関しては石川・富山と首都圏でトントンか、渋滞がないぶん北陸からの方が有利だった(尤も、1990年代には、白馬から糸魚川まで渋滞ということもあったらしい)。
そもそも1997年までは碓氷峠経由の特急「白山」が運転されていたので、電車でも金沢から妙高、長野、軽井沢は乗り換えなしで行けたし、乗り継ぎの悪い現状よりも所要時間は早かった。
上信越道が東京からは長野市あたりにつながったが上越に抜けられない長野オリンピック前後は微妙だが、1999年の上信越道全通で再び北陸優位の状況が生まれる。だがその時期にはコクドも落ち目である。

(追記)
最近では軽井沢ショッピングプラザのCMがローカル枠で流れまくっている。だいたいアウトレットモールの客というのは大都市より地方が多いらしい。実はそれほど都心の正規店舗より安いわけでもないし、アウトレット専用品も多い。都会の人間にはそれほどアウトレットに用ががないのだ。だいたいクルマ社会を前提にした業態である。アクセスの送迎バスなどもあるが、来場者の中に占める割合は決して自家用車と半々ではない。
高速1000円末期には御殿場プレミアムアウトレットの駐車場は中京ナンバーで埋め尽くされていた。

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