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民主党議員の政党遍歴パターン [政治]

しばしば民主党に対して、自民党関係者・支持者から
「民主党は寄せ集めの党」
「政界渡り鳥だらけ」
という、罵倒に近い評価が下されていることがある。また
「社会党出身者が勢力を持っていることが最大の癌」
という評価も2ちゃんねるあたりでは常識化している。
 だが、これらの評価は妥当なのだろうか。
 そもそも、自民党のように確固とした政党が不変に存在していたなら、そこから出たり入ったりした人間がマイナス評価を受けるのは当然である。例えば石破茂や茂木、小池百合子あたりである。だが、政治生活の根拠地と思っていた政党が新進党や自由党のように突然なくなったり、新党さきがけや社民党(第一次橋本内閣で連立を組んでいた1996年初頭に政党名を変更した)のように、1996年の総選挙を前にして結成された旧民主党に多くの議員が離党して詰めかけてしまい、抜け殻のようになった元の党に残ることが諸事情から困難となり、大勢の赴くところに従ったものまで、節操のない政界渡り鳥と言えるだろうか。
 また、派閥化しつつある諸グループに属する民主党の諸議員の政治行動の原理の観察を困難にしている最大の理由の一つとして、「本籍と現住所」の問題がある。いわゆる横路グループ(今の領袖は、衆議院議長として党派的行動の取れない横路孝弘ではなく、輿石東だろうが、なぜか輿石グループとは言わない)は旧社会党、民社協会は旧民社党などと、過去の政党歴(本籍)と現在の派閥(現住所)が一致している場合は良いが、1990年代の政界再編前後から当選回数を重ねた大臣クラスのけっこう有力な議員ほど、履歴から予想される今の所属派閥が意外なのだ。
例えばキャミソール事件で短命大臣に終わった荒井聡は農水省官僚出身で北海道庁に出向して横路知事の側近だったはずだが、1993年の選挙後に日本新党に所属して、2aで後述の政治履歴を経て、横路グループではなく菅グループの幹部である。大畠前国土交通大臣(その前に3ヶ月だけ経済産業大臣もしている)は土井たか子ブームで1990年の総選挙で大躍進した社会党から大量に初当選した土井チルドレンの一人である。民主党結成以来、鳩山グループの幹部となり、鳩山の首相在任中は派閥の留守を預かって会長まで務めたが、菅降ろしのゴタゴタの中で鳩山に愛想をつかして鹿野グループの結成にはせ参じた。仙石由人も1990年初当選の社会党新人だったが、なぜか民主党では前原グループの顧問格ないし、蔭の支配者となっている。
 以上のような問題を整理するためには、党内の大勢を占める側から順に、政党履歴をグループ分けすることが有意であろうと考える。もちろんこれは各政治家の行動を道義的に価値判断するものではない。そういう判断をする時の基礎情報を提供するためである。ウィキペディアの各項目や政治家自らが説明する履歴を読めば、分かる人は分かるのだが、1990年代の政党変遷を正確に理解していないことには、読解困難な書き方も多い。そもそも一般人にとって1990年代の政界再編期は忘れられたほとんど謎の存在である。

○村山・橋本内閣で与党
(1) 旧社会党→旧民主党→現在
 社会党の1990年初当選組はこのパターンである。多くは今も社会党時代の結びつきを保って横路グループに属するが、先述の大畠や筒井信孝農水副大臣、斉藤勁官房副長官ら現住所はそうでないものもいる。現在の領袖である輿石の他、社会党の「お粗末書記長」、鳩山内閣の「お粗末農水大臣」たる赤松、同和・福岡空港利権の松本龍(環境大臣としては有能だったらしい)、「死の街」「放射能をつけてやる」の鉢路前経済産業大臣、反日国家公安委員長と言われて4ヶ月で大臣を辞めた岡崎トミ子、前述の人物らが属する。こう書くと、確かにネット右翼が攻撃する理由が分かってしまう。そこまで非難すべきとも思えないが。
民主党では本来は人数で圧倒的に最大勢力だったのだが、党の主要ポストは新党さきがけ組に野党時代から取られ、社会党時代からの議員が次々に引退していくなか、それほど現在の勢力は大きくない。
 注意しなければならないのは、領袖の横路自身は村山内閣の段階に於いては与党の立場でなかったということである。1969年に社会党のプリンスとして28歳で初当選したが、1983年から95年まで北海道知事を務め、旧民主党結党の中心となって1996年に衆議院に返り咲くまで一年ほど浪人期間(これは2期目を落選して1993年から96年まで浪人していた仙石も事情が似ている)がある。若き「革新知事」(今や死語)として当選しながらも、道民党を主張したのは政略であり、一貫して自民党抜きの政権交代を追究し、自民党を政権の座に引き戻した自社さ連立のあり方を批判した。中央政界で浦島太郎だとして、当時のいしいひさいちの政界マンガでは徹底的に諷刺の対象となっている。
横路は中央政界復帰に当たって知事の後継者としては、新進党後援で側近の副知事の堀達也を立て、村山内閣の自社さ連立を象徴する存在として立候補した1990年社会党初当選組の伊東秀子(2007年の参議院比例区の繰り上げ名簿に掲載されており、現在は国民新党に属する)と争った。この時は横路後継阻止のために自社さ側から鳩山由紀夫を知事候補に擁立する動きもあり、極めてねじれた選挙戦であった。

(2) (自民党→)新党さきがけ→旧民主党→現在
 自民党を批判して離党したが、当時の小沢のような新自由主義の路線ではなく憲法・平和重視の小日本主義の立場をとった武村正義「ムーミンパパ」に従った人たちだ。細川内閣で与党となり、羽田内閣のゴタゴタで小沢らについて行けなくなって袂を分かち、自民党と社会党連立の村山内閣では政権の接着剤となった。政界再編の時期に社会党と並んで、最も長く政権につき続け、よくも悪くもその間に権力の味と実態を目にあたりにしたグループである。鳩山由紀夫が代表的存在だが、玄葉光一郎外務大臣以外(無所属で当選後、1993年12月に入党)、それほど純粋組は今に残っていない。実は次の派生型が現在では政権で有力である。
(2a)日本新党→新党さきがけ→旧民主党→現在
 1993年の衆議院総選挙で細川護煕をしたって日本新党で初当選した議員の多くが、今は与野党で重要な地位に就いているが、実は細川内閣の途中で細川から武村に宗旨代えした議員は多いのである。先の荒井の他、前原も枝野も小沢鋭仁元環境大臣、五十嵐文彦財務副大臣もそうである。その結果、村山内閣でも新進党に行って野党になることなく与党生活を満喫できたのであるから、原理原則のないご都合主義者として非難されそうなものだ。が、現実はそうでもない。やはり政治とは理想や倫理でなく現実のものであり、政治家は不確かな理想論より、ただ長くしっかり権力にしがみついた方が、より良い経験ができて将来に生きるのだろう。
(2b)社民連→新党さきがけ→旧民主党→現在
 実は菅直人前首相一人である。一つ前のグループに似た政治行動だが、その結果、市民運動、弱小政党出身ながら、自民党の若きエリート並の出世速度(若く初当選し、それから十数年の40歳代で大臣になるパターン)で第一次橋本内閣の厚生大臣の地位を、50歳を前にして射止めたわけだ。その結果、以前から政界では玄人受けする存在ではあったが、政界再編期には地味な存在にすぎなかったものが、薬害エイズ事件で一躍国民的英雄になれた。その知名度を生かして。旧民主党で結党当初から鳩山と並んで二人代表の地位を占め、大同団結による1998年の現民主党の結成後に野党第一党の代表の地位を手にしたのである。近く首相になることは、この時点で十分される事態であった。
実はすさまじい権謀術数の持ち主であることを象徴する履歴である。社民連を94年初めに解党した際に、実は党のオーナーだが新進党に行った江田五月と袂を分かっているのに、いつの間にか元の仲間に戻って10年経つのも謎である。
(2c)民社党→新進党→新党さきがけ→旧民主党→現在
 1990年に初当選以来、7回連続当選を続ける小平忠正だけである。なぜか1990年組では大臣になりそびれ、両院議員総会長や中央選挙管理委員長など党の傍系ポストを歴任し続ける不思議な存在である。途中の一匹狼的行動により、第一次橋本内閣で政務次官の地位を得たことがマイナスに影響しているようである。

○ 村山・橋本内閣で野党
(3) (自民党→)新生党・日本新党など→新進党→(国民の声・フロムファイブなど)→民政党→現在
 自民党にいた履歴があるかは初当選時期によるが、政治信条的に保守よりということである。渡辺恒三以下、岡田克也、野田首相、藤村官房長官らの履歴である。野田首相は1996年の総選挙で落選しているので、それから4年間の浪人中の政治行動の評価が難しい。実は鹿野道彦農水大臣は自民党時代から「清和会の若きプリンス」だったが、細川内閣の当初からはせ参じたわけではない。後に三重県知事からマニフェスト提唱者として大学教授の地位におさまった北川正恭にかつがれて、細川内閣の途中で自民党を離党したのである。新進党解党で混乱する中、「国民の声」で代表となったが、その後10年以上も雌伏の時を過ごした理由がその辺りに潜んでいそうだ。
(3a)社民連→日本新党→新進党→(いろいろ)→現在
 江田五月だけの特異な履歴である。なぜ94年初めに社民連を解散した際に菅直人と行動を共にしなかったかについては分からない。以前からの菅との意見の相違も理由にあったようだが、小政党の社民連に一つ閣僚ポストを割り振って細川内閣で科学技術庁長官として初入閣させてくれた細川首相や小沢ら保守系の恩義に江田が報いたとする説が有力である。新進党解党のゴタゴタ期を岡山県知事選への出馬と落選で浪人、1983年以来の参議院への復帰という過程で過ごしたので、その時期の身の処し方についてはアンビバレントな存在でいられたようである。

(4)民社党→新進党→新党友愛→現在
 このグループは民社協会を維持して今も堅い結束を誇り、1983年初当選で年長ながら3回落選した不遇な田中慶秋を会長として、民社党の元書記長だった中野寛成元国家公安委員長や直嶋正行元経済産業大臣、川端文部科学大臣、城島国対委員長らを擁する。だが、中井「はまぐり」や小平忠正ら脱落者もいる。

(5)自民党→新生党→新進党→太陽党→民政党→現在
 羽田元首相に従い、いち早く1996年の総選挙前に小沢が専横する新進党を離れつつも、自社さ連立の側には戻らずに、野党として太陽党を結成した人たちである。北沢俊美元防衛大臣、前田武志国土交通大臣らがそうである。羽田の側近たちであり、竹下派七奉行の一人で民主党結党まもなく1998年に死んだ奥田敬和も同期当選の仲間の羽田に従った。

(6)(自民党→)新生党→新進党→自由党→現在
 小沢一郎に忠実に従った者がたどったコースであり、先ほど急死した参議院議長の西岡武夫や、最高顧問の藤井裕久、山田正彦前農水大臣らが代表的存在である。ここから脱落した有力者は多く、小渕内閣の自自連立が崩壊した際に野田毅や扇千景らは与党に残るために保守党を作り、やがて自民党に復帰した。藤井も山田も今は小沢の元を完全に離れている。最後まで残った有力者が、実は小沢より初当選が6年も早い(が、二回の浪人生活で議員在籍期間はほぼ同じ)兄貴分の西岡武夫だけであった。
(6a)民社党・公明党→新進党→自由党→現在
 拉致問題で話題になる中井「はまぐり」元国家公安委員長らが属する。新進党解党時に新生党時代の仲間でないのに小沢に従ったやや傍系コースである。

(7)社会党・日本新党など→市民リーグなど→旧民主党→現在
 細川内閣では与党の立場にありながら、村山内閣では自社さと組まなかったが、といって巨大野党の新進党にも加わらなかったグループである。代表的存在は先述の横路孝弘だが、当時に現職の議員だった人たちだと、実は海江田万里前経済産業大臣も市民リーグ代表であり、浪人中の仙石と連合して地域政党のネットワークを作り、旧民主党結成の中心的存在であった。

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【民主と前政権自民の比較】


【民主と前政権自民の比較】


【教育問題 安倍の民主=日教組批判は的外れ、旗を掲げて歌を強制すれば愛国というものではなかろう】

http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html
国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で

天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。

米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。


http://blogos.com/article/34019/
君が代斉唱を強制する不敬な人びと

これを読んだ瞬間、私はこの和泉高校の校長、あるいはその友人であるという大阪市長は、いったいぜんたいなんという不敬な連中なのだろうと目が点になり、頭がクラクラした。
その理由は他でもない。今上天皇が冒頭に掲げた通り、君が代の斉唱は強制しないことが望ましいと表明されているからである。

私はもうこのブログでは再三再四表明している通り、今上天皇を心より敬愛し、尊敬している者である。
その今上天皇が、望ましくないとおっしゃられていることを強制するということは、すなわち不敬であり、反天皇行為である。
今上天皇主義者である私は、これを断じて許すことはできない。



【国防 自民政権下で竹島を要塞化され、原発安全神話で福島の国土を失ったのに愛国者気取りの安倍】

http://twitter.com/iwakamiyasumi/status/242906319407964160
続き。竹島、福田政権の時にヘリポートを作られた。弱腰外交は自民党政権から。日韓の交換公文で紛争は外交的手段で解決するとされ、日本は勧告に遠慮してきた。自民党こそ、韓国の実効支配をすすめてきた。民主党政権は竹島に言及しているが、自民党政権は橋本元総理を例外として言及がなかった。



【決断 解散の決断をした野田、国民に堂々と解散を宣言して決断できなかった前政権麻生】

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20081009/1223550935
「文藝春秋」で臨時国会冒頭解散を宣言していた麻生太郎

麻生首相が月刊誌「文芸春秋11月号」に手記を寄せ、民主党の小沢代表に対し、次期衆院選で政権の座をかけて戦おうと呼びかけていることが9日分かった。

この中で、首相は「私は決断した。野党は政局優先の姿勢だ。国会の冒頭、堂々と私と自民党の政策を小沢代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」と述べ、自らの手で衆院解散・総選挙に踏み切る考えを表明している。

これは、臨時国会の冒頭解散を宣言しているとしか読めない文章だ。


【マニフェスト 民主は大風呂敷だったが、自民前政権は超大風呂敷で民主以下】

http://utsuroinokumo.blog123.fc2.com/page-1.html
小泉政権は、郵政民営化さえすれば、「年金や医療」が良くなり、「景気」も回復し、「赤字国債」も解消され、「地方経済」が立ち直り、「戦略的外交」が推進され、「安全保障」も確立されるという誇大広告そのものの怪しいパンフレット↓を作りましたが、「郵政民営化」にそのような効能がはたしてあったのでしょうか。


http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-8355.html
http://uekusak.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/08/01/2005.jpg
財源だけでなく具体策もない自民マニフェスト


問題は内容だ。
自民党は民主党のマニフェストについて、財源が示されていないと騒いでいたので、自民党のマニフェストでどれだけ明確に財源が示されているのかと期待していたが、目が点になるマニフェスト発表になった。

「郵政民営化」を実行すると、

a.少子・高齢化の下でも年金・医療など社会保障の充実を可能に
b.雇用と消費を刺激して民間主導の景気回復を
c.こどもたちの世代に負担を残さず安心で安全な社会を維持
d.三位一体の改革で地方経済の立て直し
e.戦略的外交の推進 安全保障の確立

が実現すると書かれている。その後の日本経済を見て、この公約が守られたと考える国民は皆無だ。幼児教育無償化も4年前のマニフェストに盛り込まれたが実施されていない。



【経済政策 民主は現実的に、安倍自民は「輪転機をくるくる回して、無制限にお札を刷る」】

http://wandara.net/blog/blog.php?key=44314
「輪転機をくるくる回して、無制限にお札を刷る」/安倍自民党総裁の「経済は任せて!」/ハイパーインフレが年金生活を直撃か

友人と昼食を共にしたが、話は自ずから、いまの政局に。
年金暮らしの友人は、自民党の安部普三総裁の経済政策はハイパーインフレにつながる、と危機感を募らせていた。
 
「輪転機をくるくる回して、無制限にお札を刷る」(17日、山口市で)
「建設国債は日銀に全部買ってもらう」(17日、熊本市で)

確かに、こんな人が首相になったら、財政規律など吹っ飛んでしまう。
私も友人と同意見だ。

津波になすすべもなく、世界中に原発の放射能をばらまいたり、長い不況のトンネルに経済を導いたり…この半世紀のほとんどを政権党として国の舵取りをしてきた自民党による積年の無能無策の結果であって、民主党がわずか3年間で、その尻拭いを出来なかったからと言って責めるのはお門違いだ。

先の安倍政権は、2006年(平成18年)9月26日の内閣発足直後から、複数の閣僚による不適切発言と「政治とカネ」の問題、杜撰な実態が発覚した年金記録問題、小泉改革の負の遺産といわれる格差社会の深刻化の問題などが噴出し続けた。
翌2007年(平成19年)7月29日の第21回参議院議員通常選挙で、有権者の審判が下った。
政権与党の自民党・公明党は共に歴史的惨敗を喫した。
中でも自民党は、党創立以来守り続けてきた参議院第一党の座を民主党に奪われた。
このため、自公政権は参議院においては少数与党として「ねじれ国会」への対応を迫られ、結局、安倍氏は政権を投げ出した。

どうみても、いまの日本を覆う困難な状況に適切に対応できる人材とは思えないのだが…。
 
ほんの数年前のことなのに、日本人の物忘れも、ここに極まれり。

最近の世論調査の結果を見て、そんな感想を抱いた。


http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65770034.html
日本経済をボロボロにする人々 国土強靭化計画200兆円の安倍自民党の乱心

土建屋へのバラマキが大好きで仕方がない自民党が出してきた国土狂人化計画にあっけにとられた人は多いことだろう。この国土狂人化計画という狂人が考えるバラマキ額は、なんと200兆円だ。災害に強い日本だの何だのと綺麗事を並べているが、結局はバラマキに使われる。原発被害を除く東日本大震災の被害額は多めに見積もっても6兆円なのに、なぜか復興予算は23兆円に膨らまされて、少なくとも最初の5年で19兆円ばら撒かれてしまうことになる。6兆円以下の被害なのに、こんなに予算を膨らまされて増税されるのでは、官僚にとっては国民など何でも命令を聞く奴隷だとでも思っているとしか思えない。
国土狂人化計画も似たようなもので、命を守るだの災害に強い国にするだのという理由で、必要もない道路やら林道やら農道やらを作ることは想像に難しくはない。この道路や橋がないと、災害が起きた時に救急車が通れずに災害救助ができない。だから道路や橋やトンネルが必要なんだ。このように理由なんてなんだっていい。災害救助用のヘリコプターでは駄目なのかと言いたくもなるが、そういう理屈は通用しない。目的は金額ありきの土木事業でばら撒くこと。それがすべてだ。そこに理論も何も存在はしない。




by 【民主と前政権自民の比較】 (2012-12-07 02:35) 

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