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2006年史学会大会・シンポジウム参加記 [歴史学]

(以下は再録です。周回遅れをご容赦をば)

午前午後とも、法文2号館1番大教室に陣取る。
午前は日本古代史・中世史部会である。
史学会のサイトで時間を確認してから出かけたが、30分前から始まっていた。
どうやらサイトが間違っていたらしい。一人目の北村さんの発表が聞けなかった。残念である。
ただ、内容は古代寺院の土地所有についての個別研究で、論旨もよく整理されていたので、レジュメでよく理解できた。
二人目の須原さんの報告を注力して聞く。こっちは孝徳朝の立評記事についてのもの。須原氏は郡司の任命実態を調査し、実証面からいわば在地首長制を根幹から否定しようとしている人である。
基本的に『日本書紀』の記事を限定付き(国造がそのまま評督になったわけではない)で史実と認めようという趣旨。けっこう議論になりそうなテーマだったが、そのタイミングで改新論の論客がそれほで揃っていたわけでもないこともあり、あまり議論にはならず(歴研などの場では、議論の収拾がつかなさそう)。ただ今回の発表で出された材料だけでは証明にならないと思う。もちろんS原さんは他の傍証がたくさんあったうえで全体の理論構成をしているのであろうが、今回の発表だけでは保留状態だろうと思う。北大のN部先生の「常陸は地方支配のモデル地域であり、他の地域でそれほど立評が進んだとはいえない」との意見は説得力があった。
三人目のY口さんの報告の論評は諸事情で差し控えたい。ただ発表内容の性格(仏教と陰陽道)もあり、他の出席者には、I田先生(誰か分からなかった人も多かったではないかと危惧。)の意見の趣旨は分かりにくかったのではないか。
四人目は平安後期の日宋貿易の年期制(一種の貿易管理制)についての発表。これも議論の余地はないものであった。ただこの時期になっても、対外交渉だけは陣定でしっかり対応を決めていたのだということは留意しておきたい。
対外関係史の大家、田中健夫先生の姿も見える。80歳を超えて壮健なことです。
(2009年10月12日に他界されました。人の命ははかないものだと痛感する。ご冥福をお祈りいたします)
中世の発表については割愛。途中で外に出てしまったし。今回は特に本は買わなかった。歴研大会ではちょっと買いすぎてしまったし。

午後は以下のようなシンポジウムです。

シンポジウム「前近代の日本列島と朝鮮半島」  
午後1時~午後5時
趣旨説明、司会   
佐藤 信(東京大学)・藤田 覚(東京大学)
報告1 九世紀における日本と新羅の対外交通
・・・・・ 山崎 雅稔(國學院大學)
  2 長江以南の新羅人交易者と日本
・・・・・ 田中 史生(関東学院大学)
  3 一四世紀後期における日麗・日朝通交の変容と対元・対明関係
    ・・・・・ 岡本 真(東京大学)
  4 「朝鮮押えの役」はあったか
・・・・・ 鶴田 啓(東京大学)
休憩
コメント 石井 正敏(中央大学)、村井 章介(東京大学)、吉田 光男(東京大学)

現在ではシンポジウムの内容は増補の上、山川出版社の史学会シンポジウム叢書で書籍化されている。
前二本の報告は、聞いたことのあるような話題も多いが、材料はよく整理されていて、この分野に疎い人にもわかりやすい報告でした。やはり古代の朝鮮半島の人々が中国沿岸部で活動していた状況というのは、日本人が及ぶところではないということは確かです。さすがに現代の後裔が主張するように「百済はローマ帝国に匹敵する大海洋通商国家である」というのは言い過ぎでしょうが、円仁の唐での活動にしても在唐新羅人のネットワークがなければ、唐の官僚制の壁の前に身動きできず、大人しく天台山や長安に行かずに日本に帰らざるをえなかったのは厳然たる事実です。
岡本さんの文書形式の話は、中国王朝に対する公文書と私文書の区別で日本と高麗の外交交渉を説明しようとするもので、あまりに図式的に過ぎるかと思われるほど明快な議論ですが、古代史の人間には分かりやすい説でした。
最後の鶴田さんの報告は対馬藩の性格付けの問題ですが、二国の間でアクロバテックに動かざるをえない地理的・政治的立場を反映したものです。
報告の技術に関しても、かなり参考にさせられる点が大でした。はっきり申しますと戦国期以降の文書というのは、崩し字の読解が難しいだけでは話がすまず、活字本ですら容易には理解しがたいものです。というのは、かなり公的なものであっても、文書の発信者・受信者の立場を十分に理解した上でないと理解しがたい相対的な表現が多く、厳密な理解・現代語訳がきわめて難しいもの(したがって正反対の意味に解釈してしまうことは専門家でも珍しくない)ですが、うまく要点に二種類の傍線をふって多くの文書を類型化していました。
この点、古代の格などは難解な漢語、律令用語を一つ一つ解釈していけば、誤解は滅多には起こりません。誤解するのは、ただ史料の読みが未熟なだけである。読みの問題が論争になることは少ない。

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