SSブログ

石川3区の瓦力が引退 [政治]

もうちょっと森喜朗に刃向かって比例区に留まるかと思ったら、おとなしく引退するとのこと。
河野洋平が2005年の総選挙後に衆議院議長を辞めていれば、後釜は100%瓦力だった。4年もずっと議長待ち状態。
今回の選挙で当選しても、議長は民主党に行っちゃうから、無理に比例区で議員を続ける意味もない。今更、参議院の山東昭子みたいに副議長なんて出来ない。参議院の副議長なんて、2007年に民主党の角田義一が秘書給与問題で辞職した後は、1995年初当選で引退の迫る二期の今泉昭が箔付けで副議長の残りの任期を勤めたくらいだから、衆議院でも参議院でもそもそも副議長には大して権威はない。
だから引退なのだろう。
だが、選挙区で森の子分の北村茂男(小泉チルドレンの中では特色がなく、無名)に前回に地盤を譲らされた経緯は、円満なものではなかった。最後まで石川三区に無所属で立候補する意向は見せていたし、そうなれば民主党に漁夫の利をさらわれる可能性もあった(だから土壇場で比例優遇が決まった)。
これからは瓦は一切、地元で北村と自民党を支援しないという。森との怨恨の深さを思わせる。

そもそも北村は輪島の出身であり、能登で穴水出身の坂本三十次の選挙基盤を継いでいるというわけでもない。輪島の市長も保守系を破ってまさかの初当選した組合出身で、その後は保守勢力と親和的とはいえ、北村と一心一体とはいかないようである。基盤は盤石ではない。
前回の郵政選挙ですら、民主党の桑原豊に票を積み増されている。1996年と2000年の民主党の泡沫候補に比べれば、二回とも保守王国で大した得票である。加賀と違って、能登には保守系の新進石川の組織もないのである。小選挙区で2回落選なら候補をすげかえる民主党ルールと本人の意志(元は金沢市の1区からの落下傘候補。奥田建との選挙区調整による)で政界引退した。郵政風がなければ、桑原は比例復活の可能性もあった。桑原は1996年から2003年までずっと衆議院議員であったにも拘わらず、石川県民にも印象が薄い。2回とも比例当選だったからだろう。自民党の石川弘などと同レベルの知名度だろうか?
もし桑原が3回目の立候補をしていれば、今から当確マークが付いていたかもしれない。


自民党の瓦力・元防衛庁長官(72)=衆院比例北信越ブロック=は21日午後、国会内で記者団に対し、次期衆院選に出馬せず政界を引退する考えを表明した。 瓦氏は衆院議員秘書から、1972年に初当選し、連続12回当選。この間、建設相、党国対委員長などを歴任した。竹下内閣で防衛庁長官を務めていた1988年には、潜水艦「なだしお」と遊漁船の衝突事故が発生し、引責辞任した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090721-00000083-jij-pol

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。