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「ローカル線に公共性はない。あってもガソリンスタンド以下である」??? [交通]

亡くなったJR東日本の山之内秀一郎元会長は、オフレコの持説としてこう言っていた。
「ローカル線に公共性なんてない。地元の一般の人は誰も乗っていない。公共性がないとは言わないが、突然列車が走らなくなっても、ロードサイドの店やガソリンスタンドがなくなるほどは地元の人は困らない。ローカル線の公共性はガソリンスタンドにも劣る。(うるさくローカル線に妄想注文を言うのは鉄道マニアだけ。マニアの発想などは鉄道経営には害あるのみである)」

恐らく東北の701系化は以上のような考え方に支えられているのだろう。
だが、計量科学において、最適値計算の事例を考えてみよう。かなりやり方が煮詰まった状態からは、なかなか値は改善しないものだが、改善の当初は初期値を総費用が大して変わらない範囲でいじってみるだけで、値が劇的に改善したりする。地方の公共交通の問題には、こういった面があるのではないかと思う。
地方を平日にドライブしてみると分かることだが、地方都市(それもバス交通がほぼ壊滅していることもありうる10万人以下のクラス)の朝夕の道路の渋滞というのはひどいものだ。その他の時間帯に15分でいける区間に45分を要したりする。
そんな時に遠距離通学の高校生(ローカル線を分析した鈴木氏などの執筆によるジャーナルのレポートなどを参照すると、田舎ほど高校生の通学範囲は広いことが分かる)は、いつも20分で走る鉄道の定時性に支えられて、何とか通学していたりする。バスに転換したら時間が読めなくなって下宿せざるをえなくなる事例もある。
越美北線の運営が消極路線に転じる前(不通になる少し前)には、朝だけ越前大野から福井行きの快速列車があった。福井近郊で渋滞する道路より早く、30分台で着くので、通勤通学客御用達であった。これがあれば夕方のダイヤが多少不便でも、大野から福井に通勤するのに鉄道を使う人も増えようというものである。
大型時刻表に載っていないのであまり知られていないが、福井~大野のメインの公共交通手段は路線バスである。鉄道は補完的な存在だ。が、ラッシュ時に関してはバスは定時性で頼りにならないので、鉄道の出番となる。
701系化も同様である。そもそも、短編成化でそれほど経費は削減されるのであろうか?確かにピーク時の稼動車両数を減らせば、固定費は減るが、ワンマン化によって削減される人件費ほどの比率ではなかろう。いわんや朝に使っていた車両が余っているのに、昼間も短編成化をしてしまうというのはおかしい。車両のメンテナンスコストの問題はあるだろう。だが車両のメンテナンスフリー化(国鉄車両の更新工事もそのような方向性である)もあるし、たくさんの車両を抱えることは著しいコスト増加になるとは思えない。
昼間は単行や2両のローカル線も、ラッシュ時の編成は4両以上あったりして、ツーマン運行だったりする。その車両はたいてい昼間は運用されない。普段は車を使っているのに、たまに昼間に鉄道に乗ってみた人がいたらどう思うだろう?
微妙に込んでいて、目的地まで立ち尽くしでは、もうその人はあと十年くらい鉄道は使わないだろう。

だいたいワンマンだから2両で詰め込みという発想はおかしい。北海道などでは長いワンマン列車も特例として運行されている。欧州式に完全な信用乗車とするべきではないだろうが、多くは改札のあるターミナル駅で降りるのだから、其の駅で不正乗車をチェックすればいい。高校の近くの駅では、その時間だけ改札のパートを雇うなど手はある。IC定期にして、タダ同然の固定端末を無人駅に置くという手もある(日本の自動改札機が高いのは磁気券を速やかに通す駆動部の問題であって、SUICA用に両毛線などに設置された簡易型の端末は驚くほど安い)。地方の国鉄の駅のホームは都心の地下鉄・私鉄などより直線的だから、編成が長くなったらドア扱いに不都合があるとも思えない。無意味な官僚主義である。
あとスクールバスのために行政が車両と多くのバスを用意するくらいなら、通学用にボロボロの鉄道路線を維持した方が賢明という事例も多い。末期の有田鉄道などはそうだった。
(地方の第三セクターが最近になって廃止になっているのは少子化の影響もあるが、国鉄時代に整備されていた路盤などの設備を使い倒したということもある。末期の京福永平寺線などの保線状態はひどいものであった。あのような状態を放置するようでは正面衝突事故も起ころうものである。これに比べれば名鉄の600V線は、名鉄が力を入れて最後まで新車を入れ続け、保線にもそれなりの金をかけていた。廃止に追い込んだのは、安全地帯を新岐阜駅前の路上に作ることさえ認めなかった行政の無策であり、岐阜県政の公共交通への無理解が然らしめたのである。まあ1960年代に郊外に県庁を移転してしまった県のやることではある)

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砂兎

田舎の高校生の通学距離が長いのは事実です。しかし、通学先の高校があるのはその地域の中心となる都市であることが多く、裏を返せば、多くの高校生が就職した後の就職先も高校と同じような場所にあるのです。つまり、通勤距離はたいして変わらないのです。

しかし、定時性がそれほど重要ならば、なぜ高校を卒業した後、多くの田舎に残った人達はさっさと免許を取り、鉄道ではなく自家用車で通勤しているのでしょうか。彼らが学生時代に享受していたはずの「定時性」をあっさり捨てているのは何故でしょう。

つまり、定時性の価値というのはその程度なのですし、公共性というのはその程度のものなのです。
by 砂兎 (2009-07-30 22:52) 

憑かれた大学隠棲

学校は駅前とか公共交通機関の使えるところにあるけど、働く場所、となると公共交通機関からは不便なバイパス沿いの工業団地とかになるんじゃないですかね。
by 憑かれた大学隠棲 (2009-08-09 10:46) 

東雲のミネルヴァ

>>砂兎さん
渋滞で時間を浪費していても、定時性を否定しているわけではないかと、思われます。
ラッシュ時に渋滞する道路にだって定時性は意外とあります。普段は10分で着くところが25分になったりしますが、30分や40分にはなりません。
地方の通勤先は郊外にあるので、そういう移動が鉄道、バスなどだと乗り換えで元々40分以上かかって、運賃も割高です。帰りの時間も自由になりません。

そもそも地方の社会は車で通勤することを前提に設計されていたりするので、公共交通機関で通勤することが可能でも、非常識で社会性がないと考えられることも多いのです。出勤後に外回りするのが自分の車というのが当たり前だし、勤務シフトがそれで組まれていたりするのです。
何より大事なのが地方では
歩き<自転車<バイク<車
と年齢に従って利用する交通手段が進歩するものと考えられていて、それに当てはまらない人は問題があることになってしまう。すなわち、車が買えないほど借金漬けなど経済的に問題があるか、運転免許が取れないほど身体的に問題があるか、社会慣習に従わない非常識かという、公共交通機関の利用が全方向で否定的にしか捉えられないのです。
by 東雲のミネルヴァ (2009-08-18 08:56) 

砂兎

つまり、定時性に対する要求はその程度であり、鉄道による分単位・秒単位の定時性が不要だとするならば、ローカル線の公共性にはどの程度の根拠があるのでしょう。というのが私のコメントの趣旨なのです。

ところで、始発、最終便の時刻がまるで使い物にならないような閑散路線でも無ければ、「公共交通」で通勤することが非常識と言われる地方というのは、どこのことなのでしょうか。寡聞にして聞いたことがないのですが。
by 砂兎 (2009-08-18 18:30) 

東雲のミネルヴァ

最初にコメントしましたように、渋滞する道路にもラッシュ時の鉄道と似たレベルの定時性はあるわけです。普段は1回で通過できるボトルネックの信号が3回かかることはあっても、5回かかることはないわけです。(週末の行楽渋滞などとは全く渋滞の性格が別です。)皆の朝の行動パターンは決まっていますから。
だから車社会だからといって、定時性が軽んじられているわけではないのです。
道路交通だから時間が不適当というのは思いこみです。大都市の鉄道だって、京王や東急田園都市線に代表されるように、朝ラッシュ時には過密ダイヤによる所要時間の増加や日常的遅延は起こっています。ラッシュ時には分単位や秒単位の定時性なんて、鉄道でも意外とないですよ。雨が降ったら5分か10分は遅れる路線なんていくらでもあります。まして人身事故でもあったら、目もあてられません。


遅延ないし渋滞した時に過ごす時間の質にも差異があります。鉄道なら混んだ電車で不快な思いをしながら待つだけですが、自分の車なら喫煙しようが、化粧しようが、運転席で快適に過ごせるのですから

車で通勤するのが当然という都市は、県庁所在地レベルでも結構ありますよ。中心部に残っている勤務先は官公庁や電力会社や銀行金融機関、一部のサービス業で、それ以外の勤務先は郊外にあることが多い。そしてそういう勤務先に通えるのは、地方都市では大変なエリートか転勤族だけです。残業も少ないという条件付きです。
県庁所在地以下の20万人以下の地方だと、もう公共交通機関が通勤に使えるレベルの所は希です。よほど勤務先と住居がダイレクトに結ばれていない限りは。
中心部の勤務先には駐車場がなくても、歯抜け状になった市街地に民間の月極駐車場が分布していて、定期代よりはるかに安い額で借りられることは多い。
20分間隔以下にバスなどが走っていて、通勤が実際には合理的には可能な人でも、勤務中の外回りの都合や帰宅の便宜、バス定期の高さなどで、クルマ通勤の県庁所在地も多い。
by 東雲のミネルヴァ (2009-08-19 11:31) 

東雲のミネルヴァ

地方の「常識」を証明するのは難しいですね。普通は説明しないのが「常識」ですから。
ただ「クルマ」が最上位の交通手段で、ここに到達しない人間は程度が低い、という無意識の前提はけっこう普及していることは確かです。
by 東雲のミネルヴァ (2009-08-19 11:35) 

東雲のミネルヴァ

定時性だけが鉄道の公共性の根拠ではないですよ。
そこだけに注目しては、地方交通を見誤ることになるかと。


by 東雲のミネルヴァ (2009-08-19 11:40) 

砂兎

御主張は、地方の道路に定時性があるということか、無いということかどっちなのでしょう。

本文を読む限り、高校生の通学利用を引き合いに出して定時性が無いことを問題にされているようにしか読めなかったので、「通勤のような使い方で問題が出ない程度には定時性はある」とコメントしたつもりなのですが。

by 砂兎 (2009-08-19 23:53) 

憑かれた大学隠棲

定時性、という言葉が二重の意味を持ってるようですね
田舎の高校生が求める定時性といのは朝の便でも昼の便でも夜の便でも20分というのが変わらない、という話。これが朝だけ40分とかなると、通学できる範囲が変わってきてしまうので困る、という話ですね。
横軽健在なりし時に185間合いの朝の普通で軽井沢から群馬県側に通う高校生の話がありましたし、新快速で滋賀県から兵庫県の私立高校まで通うとかいうのもこれに依存しているわけです。

大人が求める定時性は、時間が読めること。つまり昼10分が朝40分になったところで、絶対に40分、ということです。10分だったり一時間だったりしては困る、ということですな。田園都市線とか京王で熨斗烏賊になってる通勤通学客もこれに当てはまります
by 憑かれた大学隠棲 (2009-08-20 23:55) 

東雲のミネルヴァ

>>砂兎さん

定時性という概念に関する認識はどうやら、共通していたようです。安心しました。無理に公共性の話につなげるべきではないと言いたかっただけです。

>>憑かれたさん

高校生についての補足ありがとうございます。
軽井沢は185じゃなくて183でしょう。185系にも臨時用のEF63連結対応編成もいたと思いますが。
by 東雲のミネルヴァ (2009-08-21 10:42) 

憑かれた大学隠棲

この話、掘り下げてみるべき話なんでしょうな

「185 間合い 軽井沢」でぐぐればわかりますが、なぜか185だったのです。強調運転はできませんが引っ張られるだけなら200番台は全車おkだった模様
まあ高崎地区でドアの少ない185が輸送力列車として間合いで入れる方向というと横軽からのみだったからなんでしょうけどね。
あと送り込みで前日の最終軽井沢行きにも入っていたようなのですが、新幹線と接続して東京軽井沢の最終便のサービスを提供しtれいたの鴨しれませんね

by 憑かれた大学隠棲 (2009-08-21 12:02) 

公共性無きローカル線は廃止で問題無し。

公共性無きローカル線は廃止で問題無し。
誰も困らない。以上。
by 公共性無きローカル線は廃止で問題無し。 (2013-10-08 05:25) 

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