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家永三郎の古代史研究と研究書出版事情 [歴史学]

「飛鳥朝に於ける摂政政治の本質」

1938年の家永三郎の論文である。
聖徳太子の地位について論じたもの。井上光貞や竹内理三、荒木敏夫あたりの皇太子制、太政大臣制などの論文でも先行研究として引用されているのは知っていたが、実は最近まで読んだことはなかった。
理由があって実見する必要があり、てっきり著作集にでも入っているだろうと思って、図書館で調べてみたが、岩波書店の『家永三郎集』全16巻にも収録されていない。著作集の末尾の著作目録で調べてみると
『日本歴史の諸相』富山房・1950
に収録されているとのことだった。さっそく手にとってみようとすると、中央図書館B1の普通の本は、他の場所に紛れたのか、見つからない。代わりに手にとったのは、なんと津田左右吉の旧蔵書であった。
なんとも変った体裁の本で、A6版(文庫版)上製ながら、一般書ではなく、専門的な論文集というもの。
古代史の文献一覧、論文注などを見てみると、初出の雑誌に当たっている人が多いようである。

読んでみると、けっこう面白い。津田左右吉や坂本太郎あたりの古い論文を今読むと、かかれている内容がどんなに優れていても、研究史上の位置づけしかできないことが多い。
が、本論文は必要な史料は網羅されているし、戦前のこの論文と比べると、戦後の井上光貞の研究さえも屋上に屋を架した印象を免れないものである。
ただし難を言えば、天智朝の太政大臣を、皇太弟の大海人皇子と天智天皇との政治的衝突の副産物としてみるといった論証が、今としてみれば弱い。政治史の厳密性のなさの典型のようである。
さりげなく『懐風藻』の成立問題に「五宗」という用語からコメントしているのは知らなかった。ちゃんと中国史料、朝鮮史料にも十分に配慮されている。
こんな論文が入手困難な状況に置かれているのは、おかしいと思う。

はっきりいって、家永三郎は古代史学者としては忘れられている。師匠が誰かというと微妙な所だが、坂本太郎が東大の日本史の専任(終戦までは助教授だけど)になる直前であり、辻善之祐と平泉澄であろう。自伝によると黒板勝美とは、それほど直接の接触がなかったようである。
(ちなみに坂本太郎は黒板勝美直系で、直接の後任人事である)
ある時期から、家永は近現代史と教科書問題に注力したため、古代史業界では過去の人と思われるか、思想史・仏教史の業績に限定して語られる。1950年代までの業績で見れば、第一級の業績を持っている。注記の仕方とかを現代風にしていれば、今でも査読誌の巻頭に載っていても不思議はない感じである。家永にしてみれば、余技の論文であろうが。

家永三郎に関しては、その著作量は学者としてはトップクラスであるが、殆どの著作が著作集に入っていない状況である。今ご存命の人だと田中卓が仕事量の多さと研究テーマの多彩さでそれに近い状況だが、思想的な立場は反対ながら、著作は入手しやすい状況である。森田悌の初期著作が入手困難な点では、家永に近い。
教科書裁判などでポピュラリティーはあるのだから、細大漏らさぬ40巻くらいの全集を作っても、訴訟関係者や公立図書館などにも部数ははけて、岩波としては商売が合ったのではなかろうか?
(どうやら長生きしたご当人が完全主義で、過去の著作をご自分で精選しすぎたせいもあるらしい)
ジャーナリストの本多勝一なんて、ファンが多いのをいいことに、小学生時代の作文や下手な漫画や、朝日新聞の駆け出し記者時代のベタ記事まで載せた著作集を出したのに。
少なくとも、単純に論文が読みたいだけの事情で、津田左右吉の旧蔵書を見る必要が生じるのは望ましくはない。この本は全国の大学でも10冊しか収蔵されていない。
(東京大学では東文研に収蔵されていたと思ったら、なんと仁井田陞文庫だった)
著作集の編集に際して岩波書店は「古書で簡単に手に入る単行本のたぐいは除いた。」と言っているが、このような収蔵状況では、稀覯書の類に属するものだろう。ちゃんと著作集に収録されるべきであったろう
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